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家松人語 平成16年

当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。

家松人語 平成16年12月号 第112号 

先日、ある檀徒さんの17回忌に行った。その施主の兄弟(子達)とその子供(兄弟の子・孫達)が参詣され年回法要を執り行った。すべて終わって、皆で食事を頂く機会もえた。なんとも言えない家族の暖かさを感じ取った。

親の年回、施主の兄弟は子供であるのでお参りは当然であろう。しかし、孫達も揃っての法事は珍しい。

孫達にとって、17回忌のお婆さんがおられて、いま生き生かされている存在である。なにの罪もない大切な幼い子や親を殺めたという暗いニュースをよく新聞などで報道される。「またか、なぜ!」と心が憂鬱になることが多い。

最近、宗教教育を通じて、個々の情緒面の育むことが大切だと言われている。年回の法要を通じて、「厳しいお婆ちゃんやった。よく小さい時には叱られた、けど可愛がってもらったなあ。」とありし日を偲び懐かしみを感じ取る。その思いを、素直に『その方からのお徳で、ここに生かされている私』と受け取っていくのが回向であり、これを『還相回向』という。年回法要の法縁にあい、亡くなった方を懐古し、そのお方の徳を頂く。1年の締めくくりとしてその家族孫達は、いい法縁に逢われたことと思う。皆忙しいと心亡くすることなく還相回向にしたる家族でこの1年えお終え、新しい年を健康で迎えたいものである。この1年のご協力を感謝しつつ。南無阿弥陀仏。

家松人語 平成16年11月号 第111号 

浄土宗で先日、各教区の教化団長会議がもたれた。その中で青少年教化指導の取り組みを一宗として求めるべき意見が多く出された。今や青少年に対する指導教化の問題は、学校や親の責任、躾などの問題ではすまされない時にきている。
宗教教育の必要性が求められているのではないかと思う。
青少年の指導には、幼少の時から情緒面の育成が大切であるといわれている。これこそが人間としての人格形成の根本であることを忘れてはならないと思う。しかし、最近は逆に知の形成( 知識力の育成)が先んじられ、心の育成(情緒面の形成)が軽ろんじられているのではないか考えている。
私は、幼き頃から「やりたいことは何でもやれ。尻から二番で良い。ビリには絶対なるな」とたたきこまれて育ってきたのである。
今だに母の厳しい慈しみあるこの言葉が忘れられない。人生の歩みで幼き時でも、大人になっても大切な教訓の言葉であると思っている。
この中には、知が全てでなく、他を思いやる心と、ビリにはならないで励まねばならぬ心を養うということが潜んでいる気がしてならない。
ふと振り返り、己を見た時、自分の背には誰一人いないような人間にはなって欲しくない。秋の深まりとともに、青少年の心を如何にはぐくみ育てるかを念仏者として真剣に考える時がきているのではと思う。

家松人語 平成16年10月号 第110号 

さる秋のお彼岸、九月二十二日に従兄弟の太厳寺第二十八世が心筋梗塞で遷化した。七十六歳であった。  肺に水が溜まったとのことで前日医大病院に入院し、集中治療室にいての急死である。全くあなた任せの身で、諸行無常である。この寺は、父の実家で一番下の叔父が継いでおり、藤の寺で有名である。  叔父の時代には、裏山に無数の栗の木があり、よく秋ともなると拾って栗狩りを楽しんだものだった。  今はすっかりなくなり、駐車場に変わっていた。時代の流れであろう。  子供心に思い出すのは、この地は静かな山肌に囲まれた集落であったが、久し振りに訪れ感じたことだが道路ができ、山が開発されその面影がなくなりつつある。  最近は、この集落に猿の群れがやってきては、柿や栗、畑のものまで荒らされると聞いて驚いた。  野生の動物も、自分の住処が荒らされ、食べる物もなくなり、厳しい冬に備えての生きるための手段であろう。十月に入り、朝夕急に冷え込むようになった。秋の深まりを感じさせる。  陽も沈むのも早くなった。  釣瓶落ちとは、よくいったものである。  早いもので十夜法要を迎える月である。善を修するのがお十夜である。  冬に備え、お念仏の日々で、善を修していきたいものだ。

家松人語 平成16年9月号 第109号 

今夏の初めは雨の少ない暑い日が続いた。しかし後半は、台風の訪れとともに各地に大雨をもたらした。
 地球の温暖化によるものであろうか。高温による海水の上昇で、十分水分を含み日本列島の山間にあたり上昇気流となって大雨を各地にももたらした現象であろう。
 今夏二十一日から三日間天皇両陛下が京都に御行幸され、お迎えに京都大宮御所に行く機会に恵まれた。
 京都の皇族家と御縁のある門跡寺院二十数ヶ寺の住職と執事長などの随行が許される。お迎えの我々一人一人に両陛下がお声をかけられ手に取る近くでお出会いし感銘した。短いお言葉ではあったが、暖かみと親しみが感じとれた。五十センチ近くでの会話で初めての経験であった。
「清浄華院の○○です。」「お元気そうで何よりですね。お体にお気をつけて下さい。」「ありがとうございます。両陛下もお体にご留意下さい。」「ありがとう。」と実に短い会話であった。お迎えされた門跡法主方も健康であればこそである。 
この世に生をうけ、健康であればこその喜びを痛感した。
 秋のお彼岸を迎えるシーズンとなった。ご先祖があればこそのおかげを感謝し、報恩に報いる大切な期がお彼岸でもある。
 今ここにあるは、ご先祖のお陰と心からご回向しそのご恩に報いる。
 家族揃って、ご先祖のお墓参りに勤めよう。

家松人語 平成16年8月号 第108号 

お盆月をむかえることとなった。
 この月は、いつも亡くなった父のことを思い出す。今この世におれば百七歳。死別してから六十六年目を迎えることとなる。昭和十三年八月七日の遷化である。わずか四十二歳とのことであった。その父の思いでは何一つ残っていない。私の満三歳のことであるので仕方のないことであろう。
 弟が十ヶ月、すでに遷化している兄が十五歳とのこと。六人の子を抱えて、所帯盛りの母の苦労は今考えると感涙の思いである。
さぞ戦前、戦時中や戦後を通じての母の苦労は言葉に表すことのできないものであったと推測する。
 厳しい母ではあったが、また包容力もあった。
 現世で、若い母親が十分に子育てができず悩んでいる人が多いとも聞く。微塵にも子育てで悩んでいた母の記憶は私には無い。
 その母も、今この世にいれば白寿を迎え皆で祝福を受けることとなるがすでになく極楽浄土である。
 「親孝行したいときには、親はなしさりとて墓には布団かけられぬ」とはよく言ったものだ。父より二十六年も長らえている私を振り返ると父あればこそと改めて感謝せざるを得ない。お盆を迎え、父母を思い回向をせざるを得ない。先亡の人を回顧する時だ。  南無阿弥陀仏。

家松人語 平成16年7月号 第107号 

毎年、長い冬の目覚めから春にかけて、大徳寺の庭に規則正しくウグイスが訪れてくる。
 ところが、最近七月に入った今、盛んにウグイスの鳴き声が聞こえてくる。
 今までに経験したことのない現象である。
 今年は毎日、から梅雨で日中三十度を超える日々が続いているのにどうした事だろうか。
 今の季節には、ウグイスは涼しい山間の谷間あたりに移動し、生息するのが普通であるといわれている。
 なのに何故大徳寺の庭にやって来るのか。余程気に入られ、心地よい場であるのか。大きな気象の変動なのか。はわからない。不思議な現象である。
 前月号で、大徳寺のご詠歌を披露した。すばらしい冊子の配布をふくめ大変好評の賛辞を頂き喜んでいる。
 「本願調」の曲で、皆さんにお唱えして頂こうと思っていたら、ある檀徒の方が、大徳寺ご詠歌独自の曲をつけて欲しいとの要望があった。早速、仏教音楽家でもある松濤基先生にお願いし、承諾を頂き新曲が届けられた。
 素晴らしいメロディである。
 世界で、唯一の大徳寺のご詠歌とメロディの誕生である。
 秋の彼岸法要か十夜法要には、大徳寺のご詠歌講の素晴らしいハーモニーでお聞きいただけるものと思っている。
 ご詠歌講の方たちのこれからの練習へのご精進に大いに期待致したいものである。目下テープやCDも作成中であるのでご期待を乞う。

家松人語 平成16年6月号 第106号 

先日健康診断も兼ね病院に行った。
老人の憩いの場のごとく多くの方がおられた。お釈迦様の出家の原因の一つに老いの苦しみがあった。
若い時には、老いの苦しみなど関係ないものと思っていた。四十歳半ばで頭に白い物が増えてきても若白髪などいって気にもしなかった。しかし新聞の字が見えにくくなり老眼の使用を始めかけて老いの大変さを実感として考えるようになった。
ある人が七十歳を超えると益々老いの苦しみを感ずると言われた事を思い出した。足腰が痛み、あっっさりとした食べ物を好み、薬に頼るようになってくるともいわれていた。
思い当たる人も多いのではなかろうか。お釈迦様が、老いも病も、ともに苦しみととらえられたことが分かるような気がしてきた。
法然上人のお言葉に「浄土を願う念仏の行者は、病気にもなれば、これで浄土に往生することも近づいたと、病を楽しむものだ」と述べられている。
びっくりしてしまった。
老いや病を楽しむことのできる人がいる。聖人でなくやはり凡人、今でも凡人である私にとって改めて大きな驚き以外のなにものでもない。
と同時に、法然上人の説かれる念仏に従って、老いの苦しみも病の苦しみも共に、少しでも楽しみに変えられる自分に近づけたらと願わずにはいられない。梅雨時である。如来のお慈悲にすがりつつ健康な日々を送ることが、まずなによりと願っている。

家松人語 平成16年5月号 第105号 

いま、浄土宗大本山清浄華院で財団法人浄光会「つきかげ苑」の老人福祉施設が建設され、この六月中旬に完成する。七十人収容で個人部屋の老人ホームである。京都でこれらの施設の入寮希望者は多く二千人程が待ちに待っておられるという。この建設費用を含めると一人千五百万円の一人部屋のマンション並になるという。結果は食事等を含め、一人月五万円というから希望者も多いのであろう。
 満室の状態で、二十五年間が経過して初めて建設資金ゼロとなる計算だ。
 その間の人件費などの諸経費を考えると日本の高齢化対策に莫大な費用が支援されることとなる。
 宗教法人浄土宗清浄華院の敷地内の施設とはいえ入居者の選抜が大変だとも聞く。念仏信者の老人のみを入居させることも至難のようだ。
 核家族や少子化時代を迎えつつある現状を考えるとこれからの日本は大変な時が訪れてくるに違いない。
 この町内でも、独居老人も多い。
 その点で孫を含めた家族同居の家庭は、互いの愚痴は多少あろうとも幸せな家族で喜ぶべきであろう。
 これらの問題とともに、各お寺も檀信徒制に甘えて今日に至っているが、やがてどうなるのかと憂慮する。
 年金で老後をとの思いもどうなることか。日本古来の一家屋で、幾所帯か共にし、共生(ともいき)のできた時代が懐かしく回顧される。互いの三毒煩悩を断ちきり、もちつもたれつ共生の大家族構成は昔の夢か。

家松人語 平成16年4月号 第104号 

三月末に、大徳寺ご詠歌講の皆さんと久美浜の本願寺に参拝した。雲一つない快晴に恵まれ、ご詠歌講の旅としては入山して初めてのことである。
 行基上人の開創と聞く。恵心僧都や法然上人も訪れておられ、浄土宗としては由緒あるお寺で、その時に創建された御堂は重要文化財に指定され、今に残る素晴らしさに感動した。秘仏の阿弥陀如来の三尊仏の御厨司が破損のため修復中とのことで、御堂に安置されており、直に皆で拝ませて頂けた。
 普通であれば、三十三年ごとの御開帳とのこと、幸せな御縁を結ぶ法悦とはこのことであろう。法然上人の自筆として残る自然石に刻まれた名号も拝むこともでき、法然上人の生前の史が昨日のように、肌にふれる感動を得るとはこのことであろうか。
 阿弥陀さまの左のみ足が少し前に、今まさに苦悩にあえぐ我らを慈救するみ姿に接し、一入(ひとしお)の感銘を覚えたのは私一人ではあるまい。
 山間(やまあい)をぬっての車中からは、水口では少し早くてみられないが、「こぶし」や桜、山ツツジも花ひらき長旅の心を癒してくれるのにも十分であった。
 この四月には、総本山知恩院を始め大本山や各寺で法然上人の御忌会が執り行われる。
 今一度、法然上人の御徳の報恩に誠を捧げ、お念仏の相続に励み勤めねばなるまい。帰路の車中では、法悦の一日、光顔巍巍(こうげんぎぎ)とした中で、カラオケもとび出し、仲睦まじい、楽しい旅を久し振りに味わうことができた。

家松人語 平成16年3月号 第103号 

インド仏跡参拝の紀行報告は、別記事のとおりである。幾度も海外の旅も重ね、体には自信を持っていた私だが、六大聖地の内を終えてホッとしたのか、初めて苦い経験をした。ガンジス河の沐浴で有名なベナレスのことである。
 朝早く起床し、沐浴を見学し船からご来光を仰ぐ旅である。シバ神の誕生祭とあってかなりの人込み。帰り際、幾段もの階段をあがり市内を散策する道中で完全に呼吸困難に陥った。休みつつ、辛抱しベナレスを離れ、空路でアグラ到着し皆でホテルに向かい、ショッピングもキャンセル一人ベッドで休養した。
 皆で夕食を終え、部屋に戻るのにエレベーターがなく、幾度か階段を登らねばならなかった。
 遂にダウン。医者を呼び診察を受ける羽目となった。二人の医者から、絶対安静で肺炎とのことである。大変なこととなった。現地の通訳の人と相談し、翌日朝退院できるとのことで急遽入院することとなった。
 日本の病院と違って衛生管理も馴染めず、言葉も通じず、点滴と酸素吸入処置で身動きもできず、殆ど眠ることができなかった。点滴の精か夜中に小用を感じ、どうすべきか困った。呼び出しベルもなく、呼んでも来てくれない。医者の手洗い器があり咄嗟に事を済ませた。異国での病気は大変。日本に電話を入れ、もう年ではと言われがっかりした。

家松人語 平成16年2月号 第102号 

先日、何年かぶりかで一人のお婆さんにお目にかかった。「久し振りでお元気そうですね」「そうでないんですよ。もう歳ですさかい」
 人間誰しも、年を重ねるにつれ、老化は進んでいく。仕方ないことだ。そこで、仙崖和尚の作といわれる、老人の特性を歌った「老人六歌仙」を思い出した。
①皺がよる 黒子(ほくろ)ができる 背が屈む 頭は禿げる ひげ白くなる
②手は震う 足はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目は疎くなる
③身に合うは 頭巾襟巻 杖眼鏡 たんぽ温石(おんじゃく) しゅ瓶 孫の手
④聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心は曲がる 欲深くなる
⑤くどくなる 気短かになる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話やきたがる
⑥またしても 同じ話に 子を褒める 達者自慢に 人は嫌がる
 今を省みて、幾つ当てはまるかと老化の進みを診断している。
 年とともに身体の一部はだんだんと衰えていくものであろう。
 その衰えたものや失われたものに何時までもこだわって、嘆くのではなく、まだ残っている体の部分に、感謝して、これを十二分に活用する方向への転換が大切なことではなかろうかと考えている。
 喪失の時代を生き抜くために、何かの目標をもって、残っている部分を活用する姿勢が大切であろう。

家松人語 平成16年1月号 第101号 

佛歴二五四七年の新春を迎え、ご家族で慶祝を味わっておられることと思う。おめでとうございます。
 子供の頃、「今年は八歳。いよいよ小学生だね」「十四歳になったから中学生だ。頑張らなくては」などと家族や近所の人からよく言われ、よく年の話をしたものだった。
 その歳の数え方が満でなく、数え年であったことに改めて気がつく。
 現在、学校や役所などの書類には全て満年齢を書き入れるのが常識となってしまった。
 ところが、過去に亡くなった人の歳は、今でも数え年で言われている。
 このことは、胎内にいる十ヶ月分も含めるからである。
 「法然上人は八十歳まで生きた」「親鸞は九十歳で往生した」「九条武子は四十二歳で亡くなった」などすべて数え齢である。
 辞書によれば、満とは誕生日を基準にして数える年齢。数え年とは生まれた歳を一歳として、暦が正月になるごとに一年を加える年齢であると記されている。
 ある五十歳の女性の方が、「私が死んだら満年齢がよい」と言った人があった。女性は、少しでも若くありたいという願望であろう。
 私達は、この世に生をうける前に母親の胎内で育ってきている。
 命が軽視されがちな今、数え年で命の原点を深く考え直す正月であっても良いのではないかと思う。

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