家松人語 平成21年
当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。
家松人語 平成21年2月号 第162号
一月の半ばにスイセンが白い花を咲かせ、寒空の中で心を暖めてくれた。スイセンの花言葉は「飾らない心、素朴」と言われる。確かに、花をしばし眺めていると、何ともいわれない素朴さで、飾り気もない。
誰がこの花言葉をつけたのか、一人で感心していた。
先日、小学生時代の友達が、何年ぶりかで訪れてくれて、しばし談笑した。頭は白髪で、互いに老いの姿を慰め合い、確かめ合った。四人の男の子もそれぞれ所帯をもち、孫もできて親の役も終えたと喜んでいた。
彼は、幼き頃より努力家で、互いに切磋琢磨して頑張ってきた者同士でもある。彼は高校をでて一流会社に就職し、最後はその会社の重役を七十歳までやり、退いてのんびり過ごす日々であるとのこと。昨年、「琵琶湖検定」を受検し、一問違いの九十七点をとった話には驚かされた。
七十点以上が三級、八十点以上が二級。この検定は今回が最初で一級は来年からとのこと。七十歳を越えても、目標をもってやれば出来るものだと感心した。
釈尊は、「人として生き生かされていることを思い、励み勤めよ」と残されている。彼の姿を見て、テレビ依存症にならずに精進する勇気を与えられた一時であった。尊いお釈迦さまの涅槃会を迎えるのもこの月である。そのお遺徳を偲び、報恩と謝徳の心に勤めたい。
家松人語 平成21年1月号 第161号
元旦を迎えた朝には、家族一同でお雑煮餅を頂き御祝いし、一家団欒を過ごす習わしがある。しかも、朝の行事で三ヶ日続けるのが普通だった。ところが最近、各家庭ではこのお雑煮餅祝いの風習が無くなったとある新聞に記載されていた。寂しさを感じたのは私一人だけであろうか。
日本古来からの伝統が失われ無くなることは、一家の絆が薄れていくのではと嘆かざるを得ない。
七月正月の朝に七草粥を頂く習わしをされている家庭も幾程あるのかと考えてもみた。かなり数が減ってきているのではないだろうか。
アメリカから端を発した経済不況も、もろに日本にも影響を受けた昨年であった。この余波来ることは昨日のことではあるまい。
派遣労働者がまず犠牲に追いやられ、新年を迎えた今もその住居もなく路頭に迷ってられるとも言われる。
総理もこのことは年内に解決すると約束したものの、その予算の提出が遅れ、全て先送りになってしまった。
『丑』年を迎え、憂鬱なことは力強い丑の力でけ飛ばし、一歩一歩の牛歩でもよい。皆が心から『慶』の言葉を噛み締め、味わえる年となることを誰もが願ってることと思う。
お釈迦様は、このような世を『末世』といわれた。一日も早く「明るく・正しく・仲良く」生活ができる日を迎えられることを願う。
『家松人語』は以上です。有り難うございました。
眞誉上人は、平成二十一年八月三日御遷化いたしました。
南無阿弥陀仏。