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大徳寺の宝物

Treasure of Daitokuji Temple

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山門

Sanmon

慶長13年正月(1608)東西二間余、南北百三十六軒の道を家康公より賜り、寛政10年(1798)第十二世明誉上人の時に

再建された山門である。山門の上部中央に徳川家の定紋「三ツ葉葵」がつけられている。

家康公の腰掛け石

Ieyasu's stool stone

山門の東側の小高い丘に安置されている。

以前は真福寺の北側にあったものを明治33年(1900)近江鉄道の開通により現地に移されたものである。

慶長5年に家康公がお立ち寄りになった時、休憩して腰掛けた石といわれている。その時、大徳寺に莫大な寺領を下賜されいる。「家康の天のしる重き身の しばし いこひし 跡ぞ この石」(読み人知らず)の一首が伝えられている。

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植石伏土堤

Embankment embankment

山門の両側に、石堤を設け、積石法による「植石伏土堤」といわれるもので、小堀遠江

守の作と伝えられている。

家康公賜り物 お櫃・香合

Ieyasu's gift, Ohitsu and Kogo

第二世岌誉上人が家康公より賜った香籠で「金襴九条堆朱の香籠」と伝えられている。将軍が来寺された時に接待し用いられ

たお櫃、お茶入れ、小碓茶碗である。

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御朱印書写

Goshuin penmanship

三代将軍家光公より第三世還誉上人(長束正家の実子)が慶安2年11月21日(1649)に御朱印を拝領され、29石3斗

9升6合を下賜されたのが始まりで、以後代々将軍より石高を明治初年まで下付されてきた。

家光公の御朱印は、昭和56年の火災で消失した。

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 阿弥陀堂釜

Amidado Kama

この釜は天正時代に与次の手によって作られた茶釜である。

洞太/8寸9分半(約27.12㎝)

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大徳寺焼

Daitokuji ware

第11世光阿上人は、安永2年(1773)隠居し、境内に爐を築いて茶器等を焼いて水口藩主加藤明尭候に献上したと伝えられている。

「光阿焼」「大徳寺焼」と呼ばれている。

​多くの作品があったが、火災等で散失した。

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天保義民五倫塔

Tenpo Yoshimin Five Relationship Tower

境内の西南の隅に、天保義民の冥福を祈った無縁塔がある。高さ1丈、天保15年(1844)の建設である。天保13年10月、幕府の検地に反対した甲賀、野洲、栗太の農民1万人余りが一揆を起こし、抵抗したのでその指導者11名が処刑された。弘化元年(1844)9月大徳寺の第17世光誉がその霊を哀れみ、その冥福を祈らんが為に水口城主の点許を得、この五倫塔を建立した。毎年10月に追悼会を修行している。

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©2021 by 家松山 大徳寺。Wix.com で作成されました。

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