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家松人語 平成9年

当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。

家松人語 平成9年12月号 第28号 

今年は、何の罪もない幼い少年少女が無造作に殺されるという悲しい事件が多くあった年ではなかったであろうか。
自分では一人生きてるように思っているが実はお互いに「もちつもたれつ」(相依相成)で生かされている身である。
子供達は、大人にない秘められた無限のすばらしい才能を持ちそなえている。
何の抵抗もできずに殺されていった少年少女達の中にも、秘められたすばらしい何かを持ちそなえていたはずだ。
子供は人間界にとって掛けがえのない宝である。これらの事件を知るたびに腹立たしさを感ずるのは私だけではあるまい。
小さな過ちを犯そうとしても、結果は大きな罪を犯すことになってしまったことがこの世ではいかに多いことか。
空腹のため飢えに苦しみ、店先にあったたった一個のパンを夢遊病者のように口にしてしまったジャンバルジャンのように         牢獄を破ってしまうような大罪を犯す結果になりかねない。そのような環境にいたら、理性を失い、いつ、どの様に変身するかわからない恐ろしさを、誰しもが秘めているのではあるまいか。
「声をだして十念を満たせば、五逆の障りを消除し、十悪を行ずる者も、回心して念仏すれば罪みな除く」とお経にある。  何か狂っているこの世を、浄土教徒が「お念仏」を通し、心の浄化・社会浄化につとめ、来年はいい年を互いに迎えられるよう精進したいものである。
これこそが仏教徒の師走であろう。

家松人語 平成9年11月号 第27号 

秋の夕暮れは「つるべ落とし」とは昔の人はよく言ったものである。
午後五時をまわるとまだ明るいと思っていたらすぐに暮れてしまう。
「つるべ」をあっという間に井戸にはめてしまうほどの早さである。
現在は水道の利用で、今や若い者にはその「つるべ」も過去の遺物になってしまった。
子供の頃、私が、朝は本堂の廊下の拭き掃除、夕方は風呂の水汲みをやらされ日課としていた。両手のバケツに水を入れ、井戸から少し離れた風呂まで運び、一段高い小さな窓越しに風呂に水を入れるのにひと苦労したものだ。
今、明るかったと思っているとすぐ暗くなってしまった少年時代の夕暮れを思い出す。
そのうえ、よく「つるべ」のくさりがはずれ、暗闇で恐る恐る井戸館の上に登って直したものだった。
その役目を私に命じた母を恨み、逆らうことも出来なかった。その母も、この世にはすでにいない。
いま手に残る霜焼けの跡をみてその頃を思い出す。
はや十一月、後僅かで一年も終わる。
この二ヶ月足らずで、一年を省みて、悔いのない生活を送りたいものである。
過去の苦しみを思い出す時、それに耐えて生かされてきた身である。
寒さが押しかけてくる時節だ。体には十分気をつけて頂きたいと願っている。 

家松人語 平成9年10月号 第26号 

大徳寺の十夜のころになると、古い若い時を思い出す。
当時は、昼夜の法要が執り行われていた。十夜はいつも十月十五日と決められていた。
とりわけ夜の法要がメインで、鉦講の歌念仏と奏楽の演奏による稚児の十種供養の奉納。本堂の裏堂で準備されている供養物を可愛い稚児がお供えするのであった。
古くなった稚児衣装のなかに、なぜか冠の輝きだけが今でも脳裏から離れない。
その世話役は、私の記憶に残っている人で、松本ちよさん、その後、山川はるさん、小林つねさんと引き継がれていた。
すべて故人になっておられる。
その世話役の人は、毅然として幼い稚児達が失敗しないように、厳しくかつ優しく指導されていたのが忘れられずに残っている。その冠がよくずり落ちたりして泣きべそをかいた子もいた。
その稚児達は、今は立派な奥さんになっておられるのであろう。いや、お婆さんになってられるのではないかと思う。
その時の鉦も、奏楽の楽器衣装、稚児の冠衣装もすべて灰となって何も残ってはいない。大きな財産を瞬時に失ってしまったのである。
来月は、その悲しみを大徳寺檀信徒として忘れることの出来ない月を迎える。
早いもので、あの時の火災から今年は十七回忌となる。皆で忘れずに、どの家庭でも火災から守る心掛けを、互いに注意をしていきたいものだ。  

家松人語 平成9年9月号 第25号 

八月の末ともなるとめっきりと朝夕が涼しくなる。この夏はお陰で熱帯夜は少なかった気がする。
なぜかこの夏は、油蝉の暑さをそそぐ声が余り聞かれなかったように思う。
早朝に大徳寺の境内を散策するたびに油蝉の死骸の一部の羽の散乱が目にとまる。子供の頃、蝉とりをよくしたものだ。
以前に寺報で「蝉の声をまつ心」を書いたことがあった。
一般に蝉の一生は非常に短いとされているのは、土中から這い出し殻を脱ぎ羽化してから死ぬまでのことだ。
実際は、産卵された卵は一年越冬して幼虫となり地中五十センチ程のところで地下茎に口器を差し込み樹液を吸い成育する。日本もアブラ蝉やミンミン蝉は幼虫期で六~七年、アメリカ蝉は十二~十七年と長い地中生活を過ごす。
その蝉が羽化して、短い一生をこの時とばかり泣き叫ぶ。
その蝉が、多くのカラスの餌食になってしまったと考える。まさしく弱肉強食でつくづく無常さを感じる。
本格的な夏とともに蝉の大合唱何といってもミンミン蝉(油蝉)とクマ蝉のお出ましである。八月も過ぎようとする頃、辺りが少しヒンヤリとする夕方、境内でカナカナカナとやさしい声で鳴くカナカナ蝉に耳を傾け、ツクツクボウシの声を聞き、目につきにくいためか、カラスの難を逃れたのかとホッとした。
今年も、皆様のお陰で忙しいお盆の月も無事に終えることが出来た。至心合掌。

家松人語 平成9年8月号 第24号 

いよいよお盆だなあ。一年経つのも早いと思う。
お釈迦様の十大弟子の一人・目連尊者は、六神通という力を身につけ「神通第一」といわれた方でした。
ある時、目連尊者はこの神通力で亡くなった母は、どうしておられるか探しました。
極楽で幸せでいてくれると思いの外、母は餓鬼道に墜ちて苦しんでいるのでした。目連は母を救おうと食べ物を勧めるのですが、口元まで来るとパッと火になってしまうのです。
いかな目連でもどうすることもできませんでした。このことをお釈迦様にお尋ねになると、「七月十五日の雨期の修行の終える日(インドでは、坊さん達は寺にこもって、雨期に修行します)に棚を設けて飲食(おんじき)等を供え供養すれば、その功徳によって、父母を始めとする先祖は救われよう」とおっしゃったので、目連は喜んで心から供養しました。それにより母は救われたと「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に記されています。これが「お盆」の始まりです。
なぜ目連尊者の母が餓鬼道に墜ちたかは書かれていません。
しかし、古くから、目連尊者の母は、目連の子供の頃、他の友達と遊んでいる時、自分の子だけに物を与えた業によって餓鬼道に墜ちたといわれています。
誰でも、わが子・わが孫は目に入れても痛くないほど可愛いものです。
その可愛さに甘え、過保護になりすぎてはいないでしょうか。
特に、我々は『もちつもたれつ(相依相成)』で生き生かされている身です。
その陰にはご先祖の『おかげ』があることに目覚め、お盆を通じて、家族揃ってお寺やお墓にお参りして、手を合わせ、相手を尊ぶ気持ちで、ご先祖に感謝・報恩の真(まこと)をささげましょう。
まず、家族から、幼い子供から『心の浄化』を始めて頂きたいものです。
あの痛ましい「神戸須磨の事件」を、二度と起こさせないためにも。

家松人語 平成9年7月号 第23号 

やがて来月にお盆がやって来る。
騒がしい蝉の声、炎天下でのお墓参りのことであるのだが。
大徳寺には、西と東にお墓がある。
ところが、雑然と墓石が立ち並び通路は狭く、東西南北向きもばらばらで何ともいいようがないさまである。
お墓の改修は、非常に難しさもあろう。
元来、お墓の向きは、寺や仏壇の向きと同じで陽(東向き・南向き)の方に向けた方が良いとされている。
大徳寺にも、三昧墓地が赤堀にあったが町の町計画で大正元年になくなり、大正七年に現在の火葬場ができ、すべて火葬にふされて現在の墓地に納骨されることとなった。
火葬場ができるまでの七年間、そのままで埋葬された形跡はみられる。
とはいっても墓地全体は霊場でもある。現在の狭い通路とされている場でも聖地ではあるまいか。
また、お墓の一坪は、昔から畳半畳(九十センチ平方)である。大小さまざまで平等性に欠ける要素もみられる。古くて石塔の多い家はそれなりの面積確保は当然である。その大きさはともかく、せめて皆が同一方向からご先祖を拝む通路を確保し、大徳寺がすばらしい霊園墓地であると自負できる日は、筆者の夢のたわごとであろうか。 

家松人語 平成9年6月号 第22号 

十日ほど前から、境内の井戸場に次の一句が掲示されています。
『先祖の墓の草を引く前に 他の所の草一本』(詠人不詳)
境内大掃除の総出のとき、年行事さんが掲示して頂いたのかとたずねてもそうでないと言う。
誰かが掲示されたのであろう。
この期になると、あたり一面雑草が生い茂る。
多分、ご先祖のお墓を除草し、隣のお墓の草が気になり清掃された方ではあるまいかと思う。
お墓は、何といっても聖域である。わが家でも、埃っぽい部屋で日々の生活はできるものではあるまい。
ご先祖の「影(お陰)」で生かされている身でもある。
自分で気づき、檀信徒の方にアピールされた一句であろう。素晴らしい発想ではないか。
さて、去る二十五日の総出のことである。
例のごとく清掃地域の割り当てで、除草作業の奉仕をお願いした。ある担当区域で、当日の欠席者が多く苦情がでたとのことであった。
あの家は、いつも欠席ばかりであるとか。これから出欠をとって欲しいとか。
縁があって檀信徒で、お寺は誰のものでもない。
みな檀信徒われわれのものであろう。
大津や五個荘など遠方から電車に乗って奉仕に来ていただいた方もあった。また、幼子とともに清掃奉仕をしておられる若奥さんの姿もみられた。中学生もいてくれた。
僅か、二時間足らずのこと、みなボランティアの気持ちを寺の奉仕のなかから持ってもらえないものか。
ある人が、こんな川柳を投稿された。
「大徳寺 み仏 住職 檀徒で 三位一体」
「大徳寺 善くも 悪くも 檀徒の心」
「大徳寺 われわれ皆の 終着駅」
「檀信徒 念仏 称えて わが家に笑顔」
檀信徒の皆様のご批判やご意見を大徳寺のポストまで、お寄せ下さい。 

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