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家松人語 平成19年

当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。

家松人語 平成19年12月号 第148号 

大徳寺の本堂からの悲しい火災で本尊阿弥陀如来様の消失から、去る十一月二十五日で二十七回忌を迎えた。月日が経つのは早いものだ。
 この件で、大徳寺檀信徒総会が水口福祉会館で開催、同時に当時の部長であった東見寺で今後の大徳寺対応問題で部集会がもたれた。賢浄師の子息広賢君から「総会の決議で住職退任が決定した」と報告がきた。「檀信徒の決定であれば、止むなし」と了承した後、突然に栄照寺住職(大徳寺住職の実兄)が頭が割れるように痛いと訴えた。急遽甲賀病院に救急車で搬送された。「クモ膜下出血」と診断され止血治療をうけ安静にとの事だった。本人は意識不明におちいった。翌日の昼ごろ、十二時間後に意識が戻り安堵したが、脳死による腐蝕により十二月二十三日に他界した。今月二十七回忌を迎える。今年も、多くの方たちと永久の別れをした。
 結婚し、店を開きこれからの人生へと夢を託しつつも若くしてこの世を去った中川君。年末決算を依頼され事務所で早朝より仕事に専念されていた最中に、一人静かに他界された玉置さん。あまりにも呆気なく人生を終えられた方達を思うと「世の無常のはかなさ」を人ごととは思われないのを実感した一年であった。
 「皆あなたまかせの身」日々を大切に、如来の慈光に抱かれた生活に励みたいと一年を省みた。やがて干支頭の年を迎える。

家松人語 平成19年11月号 第147号 

朝夕の冷え込みで秋冷の候とはよく表現された言葉だ。本当にめっきりと秋の深まりを感じる。

 先日、4歳の外孫から電話があり目を細めつつ、会話での楽しい一時を過ごした。「確か、誕生日は11月24日やったなぁ」「違うで、29日やでぇ。イイニクと覚えておいてゃ」。11月29日は語呂合わせで確かに『イイニク』の日である。孫に一本とられ、「お肉を手土産に、誕生プレゼントを持って行ってやらんとあかんなぁ」と家内と談笑した。夜長になっていく家族での会話であった。

 秋の夜長は何となく落ち着き、読書の秋とはよくいわれたものだと感服する。 ある書を読んでいたら『秋の七草』のことが書かれていた。

 『万葉集』の山上憶良が詠まれた歌の2首に由来するとのことで驚き、1千年の歴史をもっているのが『秋の七草』である。

 「秋の野に 咲きたる花を 指折り

   かき数ふれば 七種の花」

 「萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花

   また藤袴 朝猊(あさがお)の花」とあった。

  萩、尾花、葛、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴、桔梗の七種の花である。

 「萩」は秋の象徴的な花であったことも伺え、「尾花」はススキが穂を出しているのをいい、「朝猊(あさがお)」は桔梗である。先人は秋にロマンを感じていたのではと考えられる。 

家松人語 平成19年10月号 第146号 

今年は「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉は何処へやら、彼岸中も残暑が厳しかった。地球温暖化現象の現れといわれている。魚も北へ移動をはじめているらしい。恐ろしい現象である。北極・南極の氷もかなり溶けているとのこと。

 やがて海面下になる国もと、新聞にでていた。『省エネ』に努めよといっても、現在の環境に順応しきっている我々にはどうすることもできないのではないかと心配事だらけである。

 嘉田知事さんではないが『勿体ない』旋風を全国で起こすべき時に来ているのかもしれない。

 先日、お墓に当時の住職の許可を得て記念樹として植え、40年経過した木が知らずに切られたと苦情の申し出を受けびっくりした。樹木も命を持っている。開発のためと山林の樹木が切り取られ山野に住む動物の食べ物が無く民家へと侵出して困っている猿の被害の話を最近よく聞く。水口の近くでのことである。他の動物と共存する「共生」時代もあるのかも知れないがその餌食になるのも人間かも判らないと考えると恐ろしい。

 やがてこの地球はどうなるのか。

 お釈迦様のみ教えの衰え『末法』の時代から『滅法』に入ったのではと嘆き悲しまざるを得ない。

 知恵を持つ動物人間が地球を支配している時代でもある。武力で弾圧する同じ仏教国として嘆かわしい国が未だにあることも悲しむべきである。

森羅万象全てに「慈心相向」「仏眼相看」の眼を差し延べる時と考える。

家松人語 平成19年9月号 第145号 

お盆行事は、日本では推古天皇(806)時代より始まったとある。1400年前からの行事だ。一般には、13日より16日までとし、中心は15日に行ったとある。関東では7月、関西では農作業の関係で8月盆が定着したものであると仏教辞典にある。

 精霊棚を設けて、先祖の霊を招いて壮に僧に読経をして貰い、接待し自ら功徳を積むために回向したとも記されている。大徳寺では、ここ数年、僧侶として資格を持った僧を数人お手伝いを願い、お墓回向や棚経参りを勤めて貰っている。

 炎天下での読経で、汗を拭きつつ短時間とはいえ、ご先祖への心からの回向をしてもらってきた。「○○家先祖之盆供」と回向して貰えないとの苦情もあり、数年前から塔婆を受付で貰い回向させて頂くよう配慮もした。

 お墓参りには、遠方の方も毎年参詣されているが、残った塔婆をみると、近隣の町内の檀徒の方が参詣されていないのには少々失望した。

 ご先祖や亡き父母あればこその今の自分ではないだろうか。

 僧は「法施」をなし、信徒は「布施(財施)」で報いるのが『回向』の深い意味が、宗教としてここにある。

 小僧さんの読経であると悪い心根を捨て、「今日あるは、先祖のお蔭(お影)」と認識を新たにし、信仰を深めて頂きたいことを一考願いたい。

 今月も、秋彼岸を迎える。『三心』を心の糧に、ご先祖の報恩に誠を捧げ自己を見つめ直すのも彼岸である。

家松人語 平成19年8月号 第144号 

○「お盆」です。去る月は、例年にない大変な自然災害が多かった。九州を中心とする台風の被害。新潟での中越沖地震の被害。共に大きな被害があり、一瞬にして尊い命も失われている。幸いこの滋賀県では被害もなく幸せなことではあるが、他人ごととは思っておられない。

 新潟において浄土宗の寺院も2ケ寺全壊、3ケ寺が半壊し、多くの檀信徒のお家も倒壊しているとのことである。被災の方たちには、心から御見舞申し上げ、1日も早く復旧にご尽力頂く支援を差し延べたいものである。と共に、お盆を迎えるにあたり、亡くなられた方に追善の誠を捧げたい。

○先月末には、恒例のお盆を控えての境内、本堂等の大掃除をお願いしてきた。梅雨明けての猛暑の中を今年も多数のご奉仕を得て、綺麗にして頂いた。有り難いことである。

 今年は、地元の方だけではなく郷外檀信徒のお姿も見掛けた。早朝よりの参加ご奉仕に唯々感謝の気持ちで自然と頭が下がる。

○ご先祖、父母あればこそ、「人」として現世で生き生かされている身である。「お盆」はお年寄りの行事ではない。孫たち含め家族で、お墓やお仏壇の掃除をし、精霊棚を飾り真心を込めて、亡くなった人の好物を御供えし、心からの感謝の誠で追善のご回向をするものである。

 家族揃ってお盆での回願に勤められることを祈念致したい。   合掌

家松人語 平成19年7月号 第143号 

先日鹿児島へ出張し、一度は行ってみたいと思っていた「特別攻撃隊」の陸軍特攻基地『知覧』まで足を延ばしてみた。昭和20年3月25日沖縄へ上陸したアメリカ軍への一挙挽回する方策としての特攻基地である。17歳から22歳位の若者達が飛行機の胴体の下に、250㎏、500㎏の爆弾をつけて薩摩半島から開聞岳を越え沖縄を目指した少年飛行兵の基地であった。南の雲間に消えた飛行機は2度と再び帰ることはなかったという。

 現在では当時の三角屋根の兵舎を一つの残し、その両側に「特攻平和観音堂」と「知覧特攻平和会館(資料館)」があった。平和会館の中には、当時の少年飛行兵の写真や出撃前夜に書き残した自筆の遺書が展示されていた。少年とは思えないしっかりした顔つきの写真と少年とは思えない綺麗な字の自筆の遺書に思わず涙が込み上げてきた。

 父母や妻や子に宛てたもの。一字一字が涙、涙の遺書であった。

「この便りが届きます頃は早や永遠の眠りについています。父母は決して淋しく思わんで下さい。私は、ご両親様より先に逝きますが、大和男子の本懐、大儀の下喜んで体当たりを致します。必ず撃沈の報をお知らせします。ではもう何も思い残すことはありません。只今までの不幸をくれぐれもお許しを。

     大命のまにまに逝かむ今日の日を

       吾が父母や何えおたたへん

         お父さんお母さん さようなら

                     五月二十日  渡辺 網三」

 来月は先亡追善のお盆を迎える

家松人語 平成19年6月号 第142号 

この季節になると、よく畑でとれたお野菜等初物を寺までお届けいただく方がある。先日「出来は良くない物ですが、甘みがあり、畑で精一杯作った物です。召し上がって下さい。」とイチゴをお届け頂いた。仏さまにお供えして、孫と一緒に食べてみたら小粒ではあったが、実に甘みもあり美味しかった。また、四五日してからある人が大根を届けて下さった。「食べへんのやったら捨てといて。」との事であった。

 少々その言葉にガッカリした。

 農家の多い檀家の寺で育った私は、よく「畑で初物がとれたの、仏さまにお供えを」と寺に届けて頂いたことが多くあった。戦前戦後のこと、空腹でたまらない私にとって、トマトやイモの一つぐらいこっそり口に入れたい衝動にかられたこともあったが、初物はまず仏さまにとの母の口癖でそれも出来なかった。「食べへんのやったら捨てといて」とは、自分で作った野菜の出来不出来の謙遜であったかしれないが、仏さまや頂く者にとっては美味しく頂戴するのではなかろうか。仏さまは何も言われない。そのお気持ちを尊頂かれる。それが「御供」である。

 お婆さんが、一休さんに「ぼた餅を作ったが、まずいけど食べて」と差し出したところ「そんなまずい物をわしに食わせるのかや」と言われた話を思い出した。皆精一杯愛情を込めてお作りになったもの。物質豊かな時代とはいえ、大人がそういう気持ちをもっておれば、これからの日本も不安である。戒めるべきはまず心から。

家松人語 平成19年5月号 第141号 

私の父は、亀山市住山にある太厳寺で出生し、法縁があって大徳寺と縁を結んだ僧であった。大徳寺第19世村井上人の時代である。その頃、栄照寺(現住職出生の寺)には、後に当山第20世である村井賢海上人が住職であり、その後継として栄照寺住職を継承したのである。賢海上人は、真福寺を経て第19世遷化の後、大徳寺20世を継承されている。祖父は、布教師として活躍していたので、当山第19世上人と親交深く、そのご縁があったと聞いている。その太厳寺にさる4月29日に訪れた。『藤の寺』として有名で、その藤が開花を始め、見学者も多く訪れていた。何十年振りか、訪問者と共に、しばし雑談を交わした。

 名張からという老いた夫婦づれで毎年訪れているという。

 今年は、天候の異変で少し房が短いとの事であるが、私にとっては祖父や祖母、父の在住頃、更にこれを引き継いでお世話してきた叔父や叔母、従兄弟夫婦、檀信徒の世話役の人達が今日まで「枯らすまい」と世話をされてきたご苦労をかみ締めて藤を観賞し味わうことができた。

 従兄弟も2年前に遷化し、その嫁も年老いて足が悪く、今は嫁いだ娘が、毎朝夕に水やりに来ているときく。開花から散るまでは、水の補給が大切との事。この藤があればこそ、父の故郷を忘れる事ができない。皆、縁で結ばれているということを再度気づかされた。

 大徳寺の藤も開花を始めている。

家松人語 平成19年4月号 第140号 

先月の半ばにして、今年も鶯の素晴らしいさえずりで目覚めたことがあった。いつも規則正しく5時半すぎの早朝に大徳寺境内を訪れてくれて、心を慰めてくれる。鶯の鳴き声とともに春の訪れを感じ取ることができた。

 大徳寺の境内の桜もかなり膨らみ桜花も「まさに今」と準備を始めているようだ。その桜も我々の心に「ああ綺麗だ」と慰めてくれるのも瞬時で、花の命は短しと世の無常を感じさせる。

 さる3月4日に、親交深かった友、福山市大念寺住職佐伯哲雄上人が遷化された。68歳であった。

 元気な人で、人柄もよく尊敬していた1人でもあった。昨年のお盆すぎに『膵臓癌』との宣告をうけ、闘病生活の毎日であった。昨秋には、五重相伝会も開筵され御見舞に訪れたとき、癌の投薬をうけた時が苦しくて、まさに『善導大師の発願文』の心境をかみ締め日々頑張って闘っているとのことだった。年末には、近所の住職たちと妻をそば杖にハワイに現世最後の旅に行ったと手紙も頂いた。12月の臨時宗議会での総長選で同ブロックから立候補された人の応援演説の一言一言が未だに忘れることができない。

 亡くなる3日前には「お迎えが近くになった。白衣に代えて欲しい。そして近所の親しい住職を迎え、臨終のお念仏をして欲しい」といい静かに眠るごとく往生されたと聞く。私たちもこんな最後の心構えでお浄土に帰りたいものだ。悲しい友との別れを惜しみつつ浄土での再会を願う。南無阿弥陀仏

家松人語 平成19年3月号 第139号 

先月号寺報「家松人語」で取り上げたが、2月26日夜NHKでも放映されていた「千の風になって」の歌のことである。阪神淡路大震災の被災者の方も、大切な人を失ってこの歌で勇気づけられて、励む心の糧としているとのことだった。

 その中に、河野昭子さん家族のことも放映されていた。たえちゃん(3才)を下に3人姉妹で、先立っていかれた父を思い、この歌と共に、お母さんを中心に頑張っておられる姿を見て感動したのは、私一人ではあるまい。

 特に、3人の可愛い子供さん達は、2番の歌詞がすきとのことだった。

「秋には光となって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る」。三歳のたえちゃんは、その意味も判らないかもしれんないが、2人のお姉ちゃんが元気よく歌う中に、私も励まねばとの思いが、筆者の心に伝わり感涙した。

 「先立つ父を偲び、4人家族でこの歌を歌うと、父も含め5人家族で生きているような気がする」との昭子さんの話であった。『明るく生きようと頑張っている家族の姿』であった。

 作者の新井満さんも「どんな不幸苦しみがあろうと、生きる勇気と希望をもって歩んで欲しい」と願っているとのことであった。

 決してさみしいことはない。先立つご先祖、父母もいる。皆でこんな人生を送りたいと願う。お彼岸でもある。

家松人語 平成19年2月号 第138号 

先日、大徳寺詠歌講の新年総会で皆と共に歌われていた『千の風になって』の歌詞は初めてであった。

 余りにもすばらしい内容に、心打たれる思いがした。作者は不明とのことだが外国から入ってきたものらしい。それを日本語詞とされたのは新井満さんとのこと。「私のお墓の前で泣かないで下さい そこには私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」「私は光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る」とある。

 善導大師や法然上人のみ教えの浄土教そのものである。「今月の言葉」でも示したそのものである。死して後極楽浄土に往生し、仏の慈光となって、衆生の我々を『護り、導き、迎えとる』仏の3つの働き(三身)が『千の風になって』と素直に受取ることができた。

 『千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています』

 極楽浄土に生まれ還っても、決して眠っていることではない。「還来穢国土人天』の還相となり、仏の慈悲光で、人界で苦しむ衆生を『千の風になって』お救いお護り頂いているとこの歌詞から学びとることができた。新春早々にすばらしい出会いであった。南無阿弥陀仏。

家松人語 平成19年1月号 第137号 

2007年の新春を静かに家族お揃いでお迎えられたと思う。 

 昨秋には、義母の逝去で年賀の挨拶は遠慮した。この習慣は何時から始まったか定かではないが、「年賀状」は元旦のスタンプを押して、親しい友に「元気でいる印や、その友や家族に1年の多幸を祈り、お祝いの言葉」の第一報を知らせるのに始まったとある書で読んだ。

 皇族では、1年間喪に服すことから「自分は身内の不幸にある身でありながら遠慮」することで、庶民にも普及していったのではないかと思われる。

 『早くコイコイお正月』と喜んだ子供時代を懐かしみながらも、一令一令を重ねるお正月を迎える如に、あの世に一歩一歩近づいていることも身にしみて考えねばなるまい。

 すれば、あと僅かな現世での人生を、この1年どんな励みの道(精進道)で進んで行くのかを考えるのが1年の計でもある。

 『善き華の香りは、風に逆いては流れて去かず。されど、人の善き香りは風に逆いつつも流れて去く』とのお釈迦さまの一句を心の糧に、この1年励み続けて行きたいと決意新たにしたお正月である。お互いに、衆生で人間界に生を受けた身である。

 『共生(ともいき)』で、生き生かされているお互いの身、お念仏の生活で、健康に留意して頂き、明るい豊かな1年である事を祈念してやまない。

©2021 by 家松山 大徳寺。Wix.com で作成されました。

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