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家松人語 平成13年

当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。

家松人語 平成13年12月号 第76号 

今年の十夜法要に、大徳寺で初めて浄土宗大本山清浄華院の大田秀三法主台下をお迎えして盛大に法要を終えることができた。また、隣寺の西連寺・真福寺のご詠歌講の方のお参りも頂いた。
 平素は、春彼岸会の西連寺、十夜法要の真福寺にはお招きを頂きながら当山では、これまた初めてのことであった。
 多くの参詣者を得て、その法縁にあって頂くことができた。十夜法要を期に、当山では年行事が交替される。一年間熱心に菩提寺のためにご奉仕頂いたことを感謝申し上げたい。ところが交替された途端に、定期法要にお顔をみせない方もおられる。来年は何人の方がお参りして頂けるか。心配もする。来年年行事をされるある方が「今年の年行事は、お盆行事の当番で、草ひきをさせられた。大変だった。」と話されたことを耳にした。
 大田法主のお話にもあったように「最近はボランティアをよくされている。してやってるという気持ちでなく、させて頂くという感謝の気持ちをもつことが大切」との話であった。
 前号で、金子みすずの詩を引用して取り上げたように、おもてに現れない、秘められた思いやりの心をもつことが、人として大切ではなかろうか。
 年行事になられる方は、五重に入行されて仏弟子として出家されている方でもあろう。お寺は誰のものでもない。檀信徒一人ひとりのものであろう。
 秋風がすさぶこの季節。心の寂しさを感じたのは、このことを耳にしたものだけであろうか。ナムアミダブツ。

家松人語 平成13年11月号 第75号 

今年の十夜法要に、大徳寺で初めて浄土宗大本山清浄華院の大田秀三法主台下をお迎えして盛大に法要を終えることができた。また、隣寺の西連寺・真福寺のご詠歌講の方のお参りも頂いた。
 平素は、春彼岸会の西連寺、十夜法要の真福寺にはお招きを頂きながら当山では、これまた初めてのことであった。
 多くの参詣者を得て、その法縁にあって頂くことができた。十夜法要を期に、当山では年行事が交替される。一年間熱心に菩提寺のためにご奉仕頂いたことを感謝申し上げたい。ところが交替された途端に、定期法要にお顔をみせない方もおられる。来年は何人の方がお参りして頂けるか。心配もする。来年年行事をされるある方が「今年の年行事は、お盆行事の当番で、草ひきをさせられた。大変だった。」と話されたことを耳にした。
 大田法主のお話にもあったように「最近はボランティアをよくされている。してやってるという気持ちでなく、させて頂くという感謝の気持ちをもつことが大切」との話であった。
 前号で、金子みすずの詩を引用して取り上げたように、おもてに現れない、秘められた思いやりの心をもつことが、人として大切ではなかろうか。
 年行事になられる方は、五重に入行されて仏弟子として出家されている方でもあろう。お寺は誰のものでもない。檀信徒一人ひとりのものであろう。
 秋風がすさぶこの季節。心の寂しさを感じたのは、このことを耳にしたものだけであろうか。ナムアミダブツ。

家松人語 平成13年10月号 第74号 

NHKの日曜日夕方六時すぎの番組で先輩が母校の小学校に帰って、後輩の児童を対象に授業するのがある。毎週楽しみに見ている。先日も、心臓外科の権威者、須磨久善医師の授業風景を見た。
 神奈川県葉山病院の先生である。
 母校は、兵庫県神戸小学校の生徒だった。授業の最終日に、病院で「狭心症」で苦しむ六十七歳の平川さんの手術を実際に手がけ、生徒にその場面を体験させた。患者の平川さんも、寛大な心の持ち主の方であり、須磨先生も、失敗が許されず真剣そのもので、感銘を受けた。
 手術の前に、平川さんと生徒の面談で、「今まで一番楽しかったことは何でしたか」の問いに「孫と一緒に遊んだこと」と述べられている。手術が無事終わり、生徒たちは「自分の身内のおじいちゃんと思い、頑張って欲しい」と皆個々の心の中で祈っていたという。
 これを体験した小学六年生の児童達は「生命」の大切さを心に刻み込んだことだろうと思う。
 これからの人生に、人との出会いの中で、思いやり、慈しむ心で接してくれるに違いないと思った。
 金子みすずの詩にこんなのがある。
  朝やけ小やけだ 大漁だ
  大ばいわしの 大漁だ
  浜では 祭りのようだけど
  海のなかでは 何万の
  いわしの とむらいするだろう
 皆は、祭りのように喜ぶなかにも、イワシの思いやりの心が秘められている。
 我々も、この思いやりを持ち続けたい。

家松人語 平成13年9月号 第73号 

今年のお盆も地蔵盆で全ての行事を終えた。数ヶ所町内にあるお地蔵さまをお参りするのだが、子供の姿は殆ど見られなくなり一抹の寂しさを感じた。
 二十六歳で病気のために他界され、多くの詩を残しておられる「金子みすず」さんという方がおられた。その人には、結婚され一人娘があったが、その子の思いは、凄いものがあったと伝えられる。
 自分の大切なわが子を、虐待して殺してしまう昨今の母とは、想像もつかない。
 象でさえ、わが子を亡くした時には、家族で悲しみ、人間でいうお葬式みたいなしぐさをするという。
 金子さんの詩に『わたしと小鳥と鈴と』というのがある。紹介しておく。
  わたしは両手をひろげても
  お空はちっともとべないが
  とべる小鳥はわたしのように
  地面(じべた)をはやく走れない。
  わたしはからだをゆすっても
  きれいな音はないけれど
  あの鳴る鈴はわたしのように
  たくさんの唄を知らないよ
  鈴と、小鳥と、それからわたし
  みんなちがって、みんないい
 この詩で言われている「みんなちがって、みんないい」。このことに気づかずに他人を批判したり、叱咤したりする。
 自己の慢心を反省し、ともに生きる社会の実現をめざしていきたいものだ。
 法然上人のお念仏を申しながらの生活は、「ともにいきる」社会の実現にある。
 『愚者の自覚』『家庭にみ仏を』『社会に慈しみを』『世界に共生を』である。

家松人語 平成13年8月号 第72号 

早いもので、お盆月を迎える事となった。今年の初盆精霊位は、例年より少ないとはいえ十六霊である。霊位名をみて病気で他界された人が多い。もう少し現世で励んで頂きたかった方も多い。全てあなた任せの身、諸行無常である。
 毎日、お念仏を称え阿弥陀さまのお慈悲にすがるしか他あるまい。
 大徳寺の詠歌講も熱心に練習に励んでもらっている。その練習をよく耳にしていろいろなことを感じる。
 詠唱には、詠歌と和讃とがある。
 詠唱は法然上人の御作の歌が主であるが和讃は少し異なる。和讃には最後に必ず『ナムアミダブツ・アミダブツ』と唱える。文字に書いても、声に出しても『ナムアミダブツ』と何ら変わりない。
 だが、実際に曲の内容によって唱え方、声までが変わって聞こえてくるのが不思議であり、また有り難く感じとれるのである。
 十夜・施餓鬼和讃は、感謝の気持ちの『ナムアミダブツ』、開宗・慶祝和讃は明るくはなやかに『ナムアミダブツ』、光明摂取・来迎・精霊和讃はしみじみと亡くなられた方への祈りをこめた『ナムアミダブツ』、お浄土へ旅立たれた方への思いを、心からのお念仏で、その歌に託して、お唱えされている気持ちが伝わってくる。詠唱・和讃は有り難い。まさにお念仏の助業である。歌は、生きている。
 その状況、心の持ち方、状態や感性で変わってくる。美しかったり、悲しかったり、明るかったり……。亡くなった方に心こめてお念仏を。お盆である。

家松人語 平成13年7月号 第71号 

はや、七月となった。毎日がまだ蒸し暑い日が続いている。関東の方ではお盆を迎える月でもある。関西では八月であるのだが、梅雨時のお盆も大変なものだ。
 蝉は正直だ。あの鳴き声が耳うるさく我々に聞こえて本格的な夏を迎える。
 さて、今年の『親子フォーラム・夏の集い』が中止となった。もともとこの集いは、幼児や小学生を対象に、お寺に集まらせ、親と子、祖父母の触れ合いの中で、幼い時から、お寺を身近に感じとってもらうのが発端であった。
 ところが、昨年は「グランドゴルフ」今年は「ボウリング」と変わった。青年会や大人の集いであれば結構な計画であるが幼児や小学生では馴染めないのではないだろうか。その準備も、主催者にとれば大変なことは理解できる。しかし、子供の少ない現在、なおさら、お寺に親しみをもたせることが大切であり、今一番各家庭でなされていない心の教育(情緒面の育ち)が求められている。ただ、行事の消化だけで終わってはならないと思う。
 浄土宗では、二十一世紀の劈頭に宣言がなされた。その一つに『家庭にみ仏の光を』『社会に慈しみを』がある。
 連日青少年の悲しむべく問題が取り上げられている。幼き時から、心の教育を育てねばならないと考える。それが今大人に求められている課題ではなかろうか。
 大徳寺の檀信徒の皆様は勿論のこと、青年会婦人会の方たちにも、原点にかえって考えてみて頂けないものかとお願いしてやまない。今や奉仕の精神が寛容な時であるのではないのかと思う。

家松人語 平成13年6月号 第70号 

大徳寺の住職後継問題で、いろいろとお世話になった甲南町寺庄の浄土寺住職中川説隆上人が、去る五月十八日に世寿八十歳で遷化された。中川師とは、後継問題のこともあり、現住職との関係で大徳寺の法類でもあった。若くして甲南町の町長、浄土宗の宗会議員も二十二年間の長きに亘りされており、浄土宗の重鎮で惜しい方を亡くしたものだ。
 当日は、大徳寺の御忌法要会で、終了した十二時四十五分頃だったという。
 その前日の夜半零時すぎに、息子の法隆師に「今から、俺の歩んだ八十年を一杯のみながら回顧する」と夜明けの四時半頃まで全て話をされたという。
 翌十八日のお昼前に、お嫁さんがのぞかれると肩で息して眠ってられたので起こさず、正午過ぎ覗きにいったら亡くなっておられたとの事。眠るがごとくの大往生であった。十四日の夜に別段幼児は無いのだがと私に電話を頂いている。常日頃可愛がって頂いた私の暇乞いであったのかもしれない。二年前肝臓が悪いとのことで入院された時、すでに「肝臓癌」と医師から家族に告知されていたのを誰にも言わず伏せていたとの事だった。四月末の本山の御忌に、一週間行動を共にし、二十五日に自坊までお送りしたのが最後となった。実に人間は弱いものだ。まざまざと無常のはかなさを感じざるを得ない。お釈迦様も法然上人も八十歳。我々もそう有りたいとの願いを持つが全て仏さまのお導きによる。上人の還来穢国土人天(げんらいえこくどにんでん)『娑婆界に還来して、人天を度せん』を願うのみ。南無阿弥陀仏。

家松人語 平成13年5月号 第69号 

去る四月三日、七十二歳で安井昭市さんが病気で亡くなられた。大徳寺にとって惜しい人を失ってしまった。
 お寺の前に居られたので、小僧の時からよく存じていた。何時も、会社にお勤めの傍ら、今の時期ともなれば、境内の垣根の刈り取りを、檀信徒の有志の方に呼び掛けて率先してやって頂いた。
 また、本堂と客殿の間、倉庫にすれば便利だと「物入れ小屋」を手作業でやってももらった。檀信徒の有志の方の「花一杯ボランティア」では、花の水やりに便利だろうと、井戸水からの水道蛇口工事も手作りでして頂いた。
 「方丈さん、会社も辞めたので、これから寺のために何でも奉仕するわ。用があったら言ってや。」「最後は、ここに来るのやさかい、人が何を言おうが、寺のためだったらするから。」といつも私に話されてられたのであった。
 大徳寺は寺のために進んで何かをする方がおられると、その人に対してよく言わない風潮がある。その人の足を引っ張ったり、陰口を叩くということであろう。
 嘆かわしいことだ。
 大徳寺というお念仏の道場のお寺に、不思議なご縁で結ばれている檀信徒の皆であるまいか。一人の力では、何を行うにしろ十分ではない。一人一人の尊い志の協力によって、何ごとも成就できることである。過日、志のある方の協力によって、今年は、蓮の植え換えも終えた。やがて綺麗な蓮花も咲くことだろう。
 その蓮台で、ほほ笑む昭ちゃんの追善を惜しまない。昭ちゃんありがとう。

家松人語 平成13年4月号 第68号 

先日、新聞にこんな記事が載っていた。
 『森首相、国益損ねる愚挙・ノルウェー国王夫妻主催のコンサートレセプション欠席』の見出しである。読んでみると、ハルラド五世のノルウェー国王夫妻主催のコンサートレセプション出席を急きょ取り止め、派閥の側近若手議員と寿司を食っていたという。
 招待を受けて天皇一家も出席されていたともいう。国政で緊急事態での取り止めであれば誰しもが納得はするだろう。
 記者の質問に対して、滑稽なのは「腰痛で苦しかったのでその治療のため。急に行ってもメシにありつけないし、公邸へ行ってもメシがない。」
 日本の最高責任者としての、これが言動かと恥ずかしくなったのは、私一人の戯言であろうか。
 余程、腰痛がひどかったならば、公邸で静養しテンヤモンを注文することもでいる筈である。日本国民の象徴である天皇陛下への答礼宴の招待である。
 若い大切な命が原水潜の無謀な運転により一瞬にして恐怖へ陥れた事故の時もゴルフに打ち込んでいたという。その反省も疑いたくなってくる。日本の範となるべき総理がこんな言動態度では、青少年教育の行く末も心配せざるをえない。
 今や、心の教育、道徳教育、倫理教育を再度見直し、進めねばならない時期だと公言してきた森首相の本音は一体何なのだろうか。
 四月は、小さな胸に大きな大志を抱き入園・入学する時期である。夢を叶える首相が今の日本に欲しい。森さん直ちに総理をお辞め頂きたいと提言する。

家松人語 平成13年3月号 第67号 

 浄土宗大布教師でおられた故野島宣道上人が生前中に五重の勧誡や定期法要でのお話をよく聞き、ご指導を頂いたのを思い出す。その中のお話で今でも忘れずに心にとどめ、離れないことがある。
 病院に勤めておられた或る婦人のお話である。ある時、病院で汚物の整理処理をされていたのであった。ガーゼに包まれていた中の物が偶然のポロリと落ちたのである。よく見ると、中絶手術をされた水子であったという。思わず手を合わせ拝み、丁重に葬られたという。
 名も判らない。人にも成りきれてない水子である。それから以後、自分でノートをつくり、名も判らないので、一人一人亡くなった日を記帳され、三冊できたらこの職を辞めようと決意されたのである。二冊半になった時、良心の呵責に悩み、この子らの追善にと職を辞め、五重に入られたという。胸のつまる話である。一つの病院ですらと思うと空恐ろしくなってくる。子供は無限の力を秘めたダイヤにも勝る宝である。お釈迦さまは人としてこの世に生を受けることもまれであるといわれている。
 なのに…。少子化で問題になっている日本の現状を考える時、尊い命を無数奪ってきた人もあったのではと思う。
 大徳寺に水子地蔵を建立してはとの話もある。若い少年少女が人を殺める事件も数多い。大人への逆縁かもしれない。
 あたかもお彼岸である。皆それぞれ懺悔して、追善供養するいい機会でもあり、ご先祖のおかげを噛み締め、自己の罪とがを懺悔するいい機会でもあろう。

家松人語 平成13年2月号 第66号 

新しい世紀に入って、一ヶ月が過ぎた。
 戦争の世紀と言わせた過去の轍を、二度と踏むことなく、世界平和に勤めねばならない。浄土宗として今世紀劈頭宣言を配布した。今も、この地上では、民族紛争や飢えの絶えない現実もある。
 表面的には繁栄を謳歌しているように見えても、人として生まれた意義や喜びが見いだせず、人間が何ものかに追い立てられ暴河に漂うような生活をしている気がしてならない。
釈尊は、この暴河に押し流されない「洲渚(すしょ)」(島)こそ「涅槃」であると、真実の依り処をお教え下されている。
 その涅槃の真実の働きに気付かされて、人間が、いかに飽くことを知らない欲望追求に追われ(欲望流)、あらゆる存在に執着し(有暴流)、人間の相対有限な知恵や体験を絶対化して(無明暴流)あくせくしているように思う。
 この人間の無知の目覚めとこのような在り方への慚愧(ざんき)の心こそが釈尊のお教えくだされた「和」の精神である。
 「智者のふるまいをせずして、愚鈍の身になって(愚者の自覚を)」「阿弥陀仏に依りすがり(家庭にみ仏を)」「他人に思いやりの心を忘れず(社会に慈しみを)」「お互い、もちつもたれつの生活、世界の平和を願う(世界に共生を)」このスローガンを浄土宗徒は自分のものにして頂きたいと願うのである。
 生かされている身、お念仏申しつつ劈頭宣言の礎を築きたい。お釈迦様の涅槃の意義もここにある。

家松人語 平成13年1月号 第65号 

二十一世紀幕開けのお正月を、家族共々迎えることができた。混沌とする社会世情の中でも、今年こそ「こんないい年にして一年を送りたい。」と誰しもが心に誓っているにちがいない。
 一年の計は元旦にあり。すばらしい言葉である。
 作家の五木寛之さんが「大河の一滴」で次のようなエピソードを紹介している。あるとき奈良法隆寺の長老、佐伯定胤師が「唯識」という仏教でも難しい講義をされたことがあった。
 その講義を受講するため、真面目一徹の若い僧が、長老の話を熱心に聞き耳をたてて聞いていたが理解できなかった。そこで若僧は、辛抱できなく長老にそのことを申し出て田舎に帰ろうとしたというのである。
 佐伯長老は、若僧の話を静かに聞き、最後に一言「千日間聞きながせよ」とぽつんと言われたという。
 『何でもいいから、話を聞き流すつもりで座っていれば、毛穴からしみ込んで、よく判ってくる。』という示唆を与えたというのであった。
 寺での伝統的な教育方法は、面と向かって熱心に聞法していれば、自然に体の中にその教えがしみ込んで自分で会得出来るといいます。
 これを、香水の薫りが体内にしみ込むことから、仏教では『薫重(くんじゅ)』といい、聞法を受け続けることによって、自然にその感化が自分のものに備わることを意味します。
 今年も、共に聞法し心の眼を開眼する精進に勤めたいものです。

©2021 by 家松山 大徳寺。Wix.com で作成されました。

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