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家松人語 平成18年

当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。

家松人語 平成18年12月号 第136号 

さる11月14日義母が93歳で極楽浄土へ往生して去った。妻の母でもあるが、私には父の姉の子であり従姉でもある。義父の健在時は幸せであったのだが、義兄が先立ち義父も他界し、病魔に犯され9年間闘病生活を余儀なくされた。その上息子の嫁も病気で入院することとなり、晩年は、口にはしなかったが不幸な日々での闘病生活であったと思う。でも最後は静寂として、何の苦しみもなく往生したのである。義母の面相をみて感じることが出来た。

 妻は1人で母と共に通夜しお守りをした。「愛別離苦」を乗り越え、声になって帰ってこない母の前で仏前奉仕を一夜行ったことを考えると感涙に蒸せる思いがする。

 「生あるものは、必ず滅する」とは十分に理解はしているものの、諸行無常のはかなさは、時待たずして訪れてくる。人生四苦八苦の「愛別離苦」を今、改めてかみ締めることができた。阿弥陀如来様には『本願成就身』(悪から善へと導いて下さる働き)『光明摂取身』(この煩悩の身をお護り下さる働き)『来迎引接身』(この世から極楽浄土へお迎え下さる働き)の3つを備えてられるという。これを深く信じて『口称一行念仏三昧』『唯一向に念仏すべし』が法然上人のみ教え。義母との離苦を思い、この1年を顧みて声高らかにお念仏精進の相続に励み、新しい年を健康で迎えたいと思う。義母に往相回向しつつ。南無阿弥陀仏。

家松人語 平成18年11月号 第135号 

さる10月31日に大本山金戒光明寺の二祖でおられる信空上人忌法要にお招き頂き参詣した。

 法然上人が比叡山に登られ叡空上人の弟子として修行されておられた時、12歳で叡空上人の弟子となられた。いわば、法然上人と兄弟弟子の関係の方にある。信空上人の祖父は中納言であった藤原顕時で、藤原貴族の血を引継がれた貴族の出身である。叡空上人は年召され、智恵第一の法然上人に預け、第一の弟子となられた方です。もともと金戒光明寺の地は、信空上人祖父の別邸であったようだが、比叡山西塔黒谷におられた叡空上人に敷地すべてを寄贈されたのです。しばし、法然上人もこの地で滞在され山間からの紫雲たなびきを経験されます。

 紫雲山ともいい、別名「黒谷」と言われる所以です。叡空上人遷化後に信空上人がすべて引継ぎ今日の金戒光明寺となったのです。

 博識兼備の方とのことですが、法然上人の第一弟子でありながら浄土宗の二祖を継承されておりません。

 余りにも信空上人の伝記の書が残ってないので定かではないが、一部の文献から見ると師匠法然上人のみ教えをしっかりと獲得されている。

 一回り上の師、法然上人であり、信空上人も老齢のため遠慮されたのかも知れない。八百年の遠忌を迎え、新しい事実が取り明かされるかも知れない。大いに期待しながら信空忌法要を終えたのであった。

家松人語 平成18年10月号 第134号 

大徳寺の年行事の制度はかなり古い時から取り入れられ、今日まで続いている。この10月の「お十夜」を勤めて1年間の任務を終えられることとなる。その年行事さん達は、当山で五重相伝会に入行された方達を『五重講』といい、その代表世話役としての任務も兼ねている。

 任期は1年間で、その間の仕事任務は実に多彩で大変である。

 講員が亡くなられるとお通夜、告別式の参列。総出の時のゴミの整理。定期法要の仏前奉仕や食事の準備接待など大変なご奉仕をお願いすることとなる。これも大徳寺ならではの年行事さんの伝統であろう。

 ところが、五重相伝が遠のくと男子はともかく、女子の年行事が引き受けがなく、まだの方も、年齢をめした人や病気の理由で引き受けてくださる人がなくなってしまった。住職や総代が決めることでもなく、前会に受けられた方たちに大変迷惑をかけることとなった。先日も皆様に集まっていただいて、苦労をかけ、何とか3年先までお決め頂き喜んでいる。

 仏教には「同入和合(同じ座のもの同じ仲間)」や「相依相成(持ちつ持たれつ)」という言葉がある。

 この精神でボランテイアが生まれたともいわれる。檀信徒の人も皆こんな気持ちをもって頂けるとありがたいのだが。「慈心相向」はお念仏の生活で、おのずから生じてくるのでなかろうか。

家松人語 平成18年9月号 第133号 

浄土宗の議会事務局長を勤めてくれた石橋泰宏君が、さる八月二十五日の早朝遷化された。当年四十六歳の所帯盛りである。彼は頭脳明晰、実直で真面目な好青年で議員の信頼も篤く、慕われていた。

 彼の実家は、白浜で、元知恩院門跡岸信宏猊下のお寺を両親が継承されておられ、私も布教巡教でお説教に行ったこともあり由緒あるお寺の出身であった。実兄も今年の二月に逝去された。

 来年三月で宗務庁を退職して、年老いた父を助けるのだと語っていた彼でもあった。今は、尼崎市の大昌寺の住職をしていた。

 二十五日の朝、勤務のため早く起き、準備でもされていたのか、奥さんが起きられた時には、亡くなっていたと聞く。兄弟二人とも突然死である。無常のさまを目の当たりにして世のはかなさを感じざるを得なかった。上の男の子は、中学一年生、下の女の子は、小学四年生と聞いて自然と涙がでた。早速お悔やみに寄せて頂き、老僧にお出会いするなり、大粒の涙をポロリと落とされた。丁度納棺の時、御令室と娘さんは棺にすがりつき号泣されている姿は、人ごとでなく愛別離苦そのものである。

 責任感のあった彼のこと、かなり無理をしての過労からだと聞かされた。すべて寿命だと割り切ればそれまでだが、あなた任せの身である。

 自分の事と思い一層お念仏の相続に励み、彼の冥福をお祈りしたい。

家松人語 平成18年8月号 第132号 

例年にない梅雨の大雨で各地に多大な被害をもたらした。幸い水口はこれらの被害もなく有り難いことである。被害のあった地域ではお盆どころではないのではと心配し、心を痛めている。

 『お盆月』である。盂蘭盆を略してお盆といってる言葉であるが、この行事は7世紀に入って畿内の各寺院で行われるようになったといわれている。旧暦7月15日前後に死者の霊がこの世に還ってくるという民間の信仰があり、この時期に先祖の霊をまつる盆行事が執り行なわれるようになったと記録に在る。また祖霊以外にも、1年以内の死霊を新精霊ともいい、まつり手のない死霊を無縁仏といい、特別なまつり事として、初盆施餓鬼や無縁施餓鬼をし供養することとなった。また、これらの死霊に供養物をのせてお供えしたことから「お盆」という言葉が通用語となったともいわれている。とりわけ、仏壇のお掃除をなし、精霊棚を飾り真心をこめて、先亡精霊位にお供えし供養することが、親やご先祖のお陰で、今いる自分の真実味を受け取る事が大切ではなかろうか。施餓鬼会の回願する偈文の一つに『南無妙色身如来』を賛嘆するのがあります。『餓鬼のような醜い、嫌らしい姿から美しい姿に導いて下さい』と願い、心豊かに、心身ともに清らかな慈悲円満の力が得ることができるといわれる。

 まず先亡に供養しましょう。

家松人語 平成18年7月号 第131号 

多忙を極めている毎日の精か、あっという間に一日一日が終り、はや七月を迎えた。関東の方ではお盆が始まる。
 期待されたサッカーW杯も敗退し寂しさを覚えた先月でもあった。全国陸上大会や高校野球大会など楽しみも多いスポーツのシーズンを迎える。
 しかし、相変わらず痛ましい悲しい事件ばかりが連日報道され、今の日本はどうなってるのかと心を痛めている人は私一人ではあるまい。
 過去にもこれらの問題を考える一思考を述べてきた。物質豊かで、苦労のなさを知らない若者たちが成長し、大人となっていく、幼き時代を過ごした成育の家庭環境など幾多の問題があることも指摘した。育ちそびれの中で大人へと成長する過程が大きな要因ではないかと思ってならない人格形成過程で一番大切なのは幼児期の『情緒的自我の確立』(思いにつれて起こる感情のなかで喜び、悲しみ、怒り、哀れむなど体得し育み善悪の心を養う)が形成されていき、次に『主体的自我の確立』(目的を成し遂げる働きの育成)『客体的自我の確立』(自分の意思、認識、行為で納得する行為の育成)と人格形成され、最後に『知的自我の確立』( 学問知識の育成)と発育され永久に知的自我を確立していくものだ。なのに『知的自我の確立』が先となる躾の故に、大切な「慈しむ心、思いやりの心」の育ちそびれがないかを考えている。互いにやさしさ・慈しみ思いやりの心で他に接する態度を養う心を育む躾が欲しいものだ。

家松人語 平成18年6月号 第130号 

新緑薫る好季節といわれる5月も今年は天候不順で、心の憂鬱さを感じ、「気が滅入る」とよくいわれるがそんな毎日であったような気がする。

 6月に入り、またまた梅雨を迎える。そのような天候に輪をかけるように、連日暗いニュースが報道されている。何の罪もない幼い命が無惨にも失われていく。誰が何のためにこんな大切な命を殺(あや)めてしまうのであろうか。

 過去の事件の裁判の中で、容疑者や犯人が裁かれるとき、弁護士の弁護として、事件当日は、極度の精神状態が不安定であったとのことで、彼ら容疑者の精神鑑定が強く求められて、その裁判も長期に亘り審議される結果となる。親や身内にとっては、いたたまれない疑念と歯がゆさを感じ、寂しい毎日を送ってられるに違いない同情の念を抱くのは、私一人だけであろうか。

 法然上人は、大胡(だいご)の太郎実秀(さねひで)の手紙のお返事に「悪につおいて言えば、仏様のみ心は、罪を犯しなさいと勧めるお考えなどありません。決して罪を犯してはいけないと誡めておられます。

 けれど、凡夫の悲しさ、その時その時の煩悩に引かれて悪行を犯すには仕方ないことですが、懺悔して改心する精進が大切です。」と述べておられます。犯した罪は、懺悔し自ら償うことを諭しておられると思います。

 念仏者として大切な心の持ち方の三心の一つ「至誠心」(素直な心)が忘れられ、他を思いやり慈しむ心を養い多くの念仏者を作り、明るい日々ので梅雨を乗り切りたいと願うのである。

家松人語 平成18年5月号 第129号 

先月は実に忙しい日々を送った。

4月といえば、法然上人の御忌大会が浄土宗各大本山で執り行われた。

 月始めには増上寺の御忌に3日間随喜、19日からは知恩院、後半は清浄華院の御忌と大変であった。その間多くの方たとの出会いもあり、いい法縁を結ぶこともできた。各総本山の御忌には、全国各地から多くの僧侶が出席され随喜される。1年ぶりにお会いする人もあり懐かしさを感じる。これも法然上人のみ教えに相通ずる法縁の賜物であろう。

 4月の天候の不順も今年は大変であった。

 我々の心を慰めてくれる桜も、雨と荒らしで微塵もなく散ってしまった。

「花のいのちは短くて、人の心に住むという」人の心に住むどころではなかったかと思った。味気ない短い生命であった。

 早朝新聞をとりに行き、水子地蔵にお参りに行く。なんとあどけない多くの水子地蔵を拝み、心の安らぎを覚える1日が始まる。手づくりの為か、一躰々のお顔も異なり微笑みかけてくれる思いがして、心の安堵を覚える。

 いい水子地蔵霊園ができたと自画自賛している。

 如来の慈悲光に恵まれ、生き生かされつつ、新緑薫る五月(さつき)を迎え、今月も多忙の生活に追われつつ、励まねばならないと思うのは、私一人だけだろうか。

 ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。

家松人語 平成18年4月号 第128号 

4月に入り、3月末の天候の寒さの精か境内の桜も開花がやや遅れている。

○晴天に恵まれ、さる3月27日に念願の水子地蔵菩薩の開眼法要が執り行われた。多くの参詣者があり厳粛盛大ないい法要であった。参詣された方から感動と感銘を得たと御礼の言葉がお寺に届く。その夜、住職は可愛い子供達が集まり喜んで騒ぐ夢を見られたと聞く。住職悲願の強い思いでの建立竣工と先亡水子の霊位の以心伝心の思いの疎通が夢に現れたのかもしれない。参詣者のある方が、現世で大徳寺がある限り、この水子地蔵霊園は残ると喜び賞賛されていた。

 施工者の部長さんも、今まで水子の霊園を造ってきたが、池を取り入れた霊園は初めてで、今後参考にし宣伝させて頂くとのこと、大変喜ばしいことと思っている。これも檀信徒の多くの方達の賛同が得られたお陰であると感謝せざるを得ないと考える。この水子地蔵菩薩の霊園に、家族でお参りされ、幼子が可愛い手を合わせて拝む姿の光景が多くあることを祈念して止まない。

○今月は、浄土宗総大本山で法然上人の御忌大会が執り行われている。全国の住職代表がその本山のご代理として唱導師を勤められる。古式に則り法然上人を心から賛嘆する一生の諷誦文を節付けで声高らかと朗詠される法要は感銘深く、法然上人の還相を偲びその報恩謝徳を感じて止むことはない思いになる。その遺徳を偲ぶ月であるのも4月である。

家松人語 平成18年3月号 第127号 

われわれが、究極迎え取られていく西方極楽の世界(彼岸)のことが『阿弥陀経』で説かれています。

 お釈迦様が舎利弗に聞かれます。

 「西方極楽におられる仏を、なぜ阿弥陀仏と名付けるの知っているか。」

 「その仏の身体から発せられる光明の輝きは計り知れず、すべての国を照らすのに妨げとなるものはありません。このことから、阿弥陀(アミターバ=無量光)と名付けられるのです」

 「また、その世界の人々の寿命は仏と同じです。どのような単位を使っても量り尽くすことはできません。このことから、阿弥陀(アミターユス=無量寿)とも名付けられるのです。」

 「舎利弗よ。阿弥陀仏は、仏の悟りを得てから、もう大変長い時間が経っています。」「その世界では、阿羅漢(悟りの境地に達している仏の弟子)の数はかぞえきれないほどです。」

 「菩薩も多数おられ、みな共生(ともいき)で極楽世界は、このように美しく見事に飾られているのです。」と説かれたのです。現世ではお目にかかった事のないご先祖(無量寿)と如来の量りしれない光明(無量光)の中で、生き生かされているのだと信じ、必ず、西方極楽のお浄土に阿弥陀さまに導かれ生まれ還って(来迎引接)いくために精進する期間と定められているのがお彼岸ではないでしょうか。法然上人は、その精進(励み)の方法は『ただ、一向に念仏すべし』とお示しされているのです。お念仏に励み、ご先祖の報恩謝徳に励みましょう。

家松人語 平成18年2月号 第126号 

二月は、日本では一番寒い月である。今年は、希に見る大雪に見舞われた。まだまだ油断のできないのもこの月でもある。空は薄暗い曇天で太陽の光を懐かしむのはこの季である。ひと年とるにつれ、この寒さに耐えきれず暖かいストーブに囲まれた部屋に籠もりがちとなる。

 本を読むのも億劫になり、唯々テレビと睨めっこする老人が多いと聞く。私の知る人で、若い頃はバリバリ働き、書も堪能で、すばらしい字も書かれ頭のいい人がいた。会社を定年退職で辞められホットされたのか、認知症障害が六十八歳ごろより始まり、まだ七十半ばにして認知障害三級になっておられると聞いて驚いた。

 その嫁の話では、他人との会話もなく、テレビとの生活が原因ではと反省し回顧されていた。

 その人は、独居ではないのだが。

 内の檀家さんにも、こんな風になられるのではと心配する人もおられる。ある本に、ボケ防止対策としての事が書かれていたので紹介しよう。

  ○規則正しく散歩をする。

  ○他人さんと常に会話をする。

  ○大きく呼吸をして声をだす。など

 成るほど、ご詠歌をされている人は皆元気でその兆候もないと思った。それには、せっせと寺に足を運んで貰うことではないかと考えた。寒さよケセラセラと寺にお出ましを。

家松人語 平成18年1月号 第125号 

初春を迎えたとはいえ、昨暮は日本全土が大変な寒波の襲来で、大雪に見舞われ、ご苦労されての新春の方もあったことと思う。幸い水口は、大した事もなく幸せである。

 以前に、増上寺の御法主成田有恒台下から「豪の念仏」の話を聞いたことがあった。法然上人が、耳四郎に語られたお言葉で『豪憶の念仏』のことである。「豪の念仏」とは勇進活歩して荒波を突破してゆく念仏で、「憶の念仏」は臆病にして逃げ隠れする生活態度者の念仏をいう。

 真の念仏者は「豪の念仏」でなければならない。人生で最も恐ろしい死に向かって逃げ回る姿勢でなく、堂々と対決することが大切であるとの話であった。

 紀伊半島の出身で南方熊楠は、明治から昭和にかけての人で、民俗学など諸学に通じた学人であった。

 植物採取にも偉大な業績を残され、大英博物館でも重要なポストに座られ、著作は、殆ど英文、スペイン語で書いて残されているという。

 昭和16年12月の始めに亡くなられたのだが、死の数日前、主治医の診察を「音楽が聞こえ始めました。お浄土の音楽です。だからもう診察に来て貰わなくて結構です。」といわれたという。まさに『願往生心』を秘めた「豪の念仏」者でおられた人である。「豪の念仏」に徹する共生(ともいき)の精神で、明るい心豊かな1年を送られる事を祈念してやまない。

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