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家松人語 平成20年

当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。

家松人語 平成20年12月号 第160号 

最近心を憂鬱にする嫌なニュースが毎日、新聞の社会面に出てくる。
 先日もある奥さんが「ご主人はお元気か」と尋ねたら「今、タイに出張です。帰ったらすぐにインド行きです。インドに出かけるのが心配です」と嘆きの言葉を聞いた。日本だけでなく世界中で暗いニュースも多い。元厚生省の高官が宅急便を装っての殺傷事件。オレオレ詐欺の振り込み事件。誰を信ずればいいのかと人間不信にもなり兼ねない。
 天文十一年(一五四二)十二月二十六日生の徳川家康にこんな話がある。家康公は毎日美濃紙に「南無阿弥陀仏」の六字の名号を書くのを日課としていた。現在も国立博物館に保存されている。口称念仏による写経である。ところがある夜、念仏行をやらずに寝床に入ったが、毎日の日課が気になり、起き出して、この念仏行を机に向かいやっていた。
 すると先ほどまで横になっていた寝具の下から刀が突き出てきた。危うく刺客の難から逃れたという。これは、念仏行を行う家康公なればこそという逸話が残っている。名号を写経する功徳のため、刺客の難を逃れたといわれるが、私はそうではないと考える。念仏の功徳を他に求めるものではない。お念仏を申すということは、阿弥陀如来の慈光を頼みて、「生かし」「護り」「導く」という仏の三身なるが故にと受け止めるべきものなのだ。家康公の難も護り生かし下された慈悲光であろう。

家松人語 平成20年11月号 第159号 

法然上人八百年大遠忌の記念事業にと、雨漏れのひどい大日・地蔵堂の新築の決定を頂き、地鎮・起工式を去る六月四日、建築許可もおり、二十四日より基礎工事に着手、七月二十六日に上棟式を執り行い完成、十月三十日には遷座式を迎えることができた。片岡工務店社長や担当者、請負業者の献身的な取組みに感謝致したい。大工さんも、早朝七時から夜遅くまで頑張って頂いたこともあった。期間中、何の災いもなくスムーズに運んで頂いたことが、何より嬉しかった。阿弥陀様のお慈悲を感ずるのである。ある檀徒の方が、大徳寺もひとつひとつ良くなっていくのを見とれるのが嬉しいとのお言葉を頂いたが、檀信徒の皆様のご協力があればこそと改めて感謝している。場所の設定には、賛否両論あり苦慮したこともあったが、走馬灯のごとく消え去り喜び一杯である。
 大徳寺の檀信徒や子供達、子々孫々身近に拝むお堂として、信仰の礎になるであろうことを信じているのは、私一人ではあるまいと思う。
 心配した槙の老木の移転も、生き生きとして、誰も知らない大徳寺の歴史を刻み見守ってくれるに違いないと信じている。まず大日堂の建立をと故人となられた多くの方も極楽浄土で喜んでおられると思う。
 感無量で、改めて如来様のお加護を心から素直に受け取ることができ、十一月を迎える。

家松人語 平成20年10月号 第158号 

例年になく今秋は朝夕の冷え込みが激しい。急に肌着を厚みの物に変えたくなってくる。おかしな気象現象である。十月とはいえ、彼岸花の曼珠沙華が咲き誇ってもいる。
 この秋は、甲賀組の寺院で五重相伝会が多く開筵され、しかも、部が異なるとはいえ、同じ日に重なったりしている。法然上人八百年遠忌を控え、お念仏の相続者が増えることは、何といっても喜ばしい。
 イギリスの諺に「家は城である」というのがあるとある本で読んだ。
 家庭というのは、いわば一個の独立国、即ち城というべきもので、国家権力も家庭には踏み込むこともできないといった考えであるという。「法は家庭に入らない」という諺と同じだと書かれていた。ところが、現在の日本の社会において、家は「城」になっているだろうかと本を読んで思った。
 家を城とするには、その家の掟という「もの差し」があってしかるべきと考えてみた。「親子の絆や祖父母を尊敬し、互いの人権や人格を認め合う」その家の家風というべき良さや慈しみあうやさしさがその家庭にあって「もの差し」だ。家を単なる『寝蔵』としているだけではないだろうか。「仏さまのもの差し」が家の城には欲しいものだ。これがあってこそ「真の家庭」ができるものだと考える。
 江戸時代に寺請制度ができ、明治四年に廃止され「家の宗教」から表面的には「個人の宗教」となった。『家庭にみ仏を』考える時ではなかろうか。 

家松人語 平成20年9月号 第157号 

十七日間の長きにわたる北京オリンピックも盛大に終わった。日本選手の活躍は前評判より期待はずれではあったが、それぞれ死力を尽くして猛暑のなか頑張ったことを賞賛したい。
 メダルに届かなかったことは、天運に見放されたことであったか。
 競泳平泳ぎの百・二百米と二冠し、金メダルを獲得した北島康介君、女子ソフトで全員一丸となって闘い抜き優勝し汗と涙で喜び合った光景は脳裏に映像の如く残り忘れることができない。
 そのなか投手として、一人気迫で三連投し、金メダルにへと導いた上野由岐子選手の精神力に頭の下がる思いで胸に込み上げる気力に感嘆した。レスリングの五十五キロ級で銀メダルをとった松永共広選手は、浄土宗静岡教区常照寺の次男であり、落ち着いた試合運びのうまさに感銘した。浄土宗の誉れでもあろう。日本の他の選手の活躍も印象深いものがあり心に残っている。
 陸上のマラソン五輪新記録を樹立し一位となったケニアのワンジル選手、高校時代日本に留学し仙台育英高校で駅伝に出場し活躍した若き青年である。
 流暢な日本語でインタビューに答えていた言葉が特に印象に残る。「日本で学んだことは、我慢、我慢。今日はその教えで我慢できた」と。
 最近日本の若い子らは、この我慢が足りない。人間娑婆界は「じっと耐え忍び励むこと」と釈尊は説いておられる。従ってこの世を『忍土』ともいう。この言葉を再度噛み締めてみたい。

家松人語 平成20年8月号 第156号 

今夏は、猛暑の連日で寝苦しい夜も続いている。よもやとの異変が大徳寺の境内で起こって驚いている。
 水子地蔵霊園の前に、二鉢の蓮を植えて育ててみた。蓮の葉もでて喜んでいたが、陽が当たりすぎたのか枯らしてしまった。こんなことは初めての経験であった。泥水にして藁灰をいれ、苦土石灰と肥料も加え蓮根を植え込み、固形の油粕をいれ、毎日水だけを枯らさないように世話をする。なぜ枯れたのか考えたら蓮鉢の水温がかなり上昇してお湯の状態になっていたのには驚いた。苦土石灰を多く加え過ぎると蓮根を枯らすこともあるのだが。何十年も蓮を育ててきた。こんなのは初めての事だ。
 今夏の猛暑の影響であろう。
 各地でも野良仕事にいかれたお年寄りも熱中症で亡くなっておられるとのこと。早い目に十分な水分補給をして今夏を乗り切る健康管理に努めて頂きたいと願っている。
○先日若い婦人が、結婚して初めて授かった子が三ヶ月で亡くしたみどり子の回向をとの依頼を受けた。
 その方の真剣なまなざしに感動した。「お盆」は先亡の方の陰で人として人界にいる身だ。家族で、お墓やお仏壇のお掃除をし、精霊棚を飾り真心をこめて、亡くなった人の好物をお供えし、心からの感謝の誠で追善のご回向をするものである。家族揃ってお盆での回願に勤めることが、幼き子や孫達も大切な情緒面が育ち大きく成長するのではと考える。合掌 

家松人語 平成20年7月号 第155号 

浄土経典である『阿弥陀経』のなかに『倶会一処(くえいっしょ)という言葉がでてくる。
 阿弥陀仏のおられる西方極楽浄土において、私たちはみな倶に一つの処(お浄土)で再会することができるのである。先日も友達の子息が、初老の前厄で亡くなった。子供さんは上が小学6年であるという。前日には、家族で奥さんの実家で食事もし和やかな一時を終え、翌朝胸の痛みを訴え帰らぬ人となられたと聞く。奥さんは勿論のこと、家族の嘆きを思うと悲壮な気持ちにならざるを得ない。『倶会一処』のことを考えれば、やがて往生の道を求め精進すれば、お浄土で亡くなった祖父母、父母や親しき有縁の人と出会うことが出来ると願わざるをえない。
 若いころは、死後の世界を考えることもなく、若さの特権として、ひたすら現在を大事に生きればよい。真剣に現在を生きれば、未来(死)に対する不安はなくなるとの思いであった。
 昨日まで何の苦もなく、元気であった若者が突然に亡くなる無常のさまを目の当たりにし、老境が近づくとお浄土のことを考える。安心立命を確立しておられる人はその必要はなかろう。
 凡夫煩悩に苦しむ者にとっては、死後にはお浄土に往くのだと信ずべきだと思うのだが。『倶会一処』のお浄土を思うとき、亡き父母、先立つ息子、兄弟、有縁の人と懐かしく再会できる喜びもある。「お前、お浄土に来るのであれば、もっと準備し精進して来ないかん」と叱られる。浄土での再会を心に、今往生を願い励むことだろう。 

家松人語 平成20年6月号 第154号 

早いもので『水無月』六月を迎え梅雨季に入った。何となく我々の心も憂鬱になるのもこの月である。
 さて、道交法が一日より改正され、七十五歳の誕生日を迎えた免許をもつ人は、紅葉の「枯れ葉マーク」を車に着けなければ違反となるという。
 高齢者の運転は勘も鈍り、交通事故も多いと聞くが、枯れ葉マークを貼らなければならぬとの義務づけは如何なものかと考える。何故か年寄りが邪魔者で、天下の王道をウロウロするなという戒めで人権無視も甚だしい気がしてならない。
 免許証の切り替えを迎えた時には、七十歳以上の者は、高齢者特別講習も実施されることとなっている。更に医師の診断をうけ「認知症」傾向がみられるかどうかを検査されて、異常がなければ免許更新が許可されるという。
 『後期高齢者』とは誰がつけたか知らないが、余りにもお年寄りを疎外して、無視しているように思えてならないのである。
 これが、日本の最近の傾向とすれば背筋が寒くなる思いがしてならない。
 孫や曾孫が成長していった時、「そこのけ、そこのけ我ら(若者)が通る」で「老人者は、早くくたばれ、死ね」の老人排他的思想が日本に訪れる日が遠くでなく近くに来ることを心配するのは、私一人であろうか。
 「老人を労る気持ち」を育む考えこそ『慈心相向・仏眼相看』にも通じる。
 仏教徒よ力強く立ち上がれと発信する。心を鬱にさせる梅雨六月故か。

家松人語 平成20年5月号 第153号 

大徳寺では、中庭の藤がいま身頃であり、女坂のシャクナゲも咲き始めた。立派な桜はあるが、参詣者の心を慰める花はと思いつくまま藤棚をつくり世話をし、女坂にはシャクナゲも植えてみた。年々大きくなりきれいな花を咲かせるまでになった。

 最近のニュースで、日本各地で花園のチューリップやボタンの花を無作為に切り取り放置する事件が起き、心をいため怒りを抱くのは私一人ではあるまい。残念な事件である。

 きれいな花を見て心を慰め、その香りで心和ませてくれるのも花である。

 客殿の前には、季折々の花をプランターに植えてくださる方もおられ、参詣者の心も癒して貰っている。

 花を愛し、育てておられる人々の気持ちを察すれば、こんな悲しむべきことはできる筈がないと思う。

 ここまで人間の心が崩壊すれば、人間ではなく畜生の単なる動物の仕業と断言せざるを得ない。

 今、寺では息子たちの犬を預かっているが、可愛くて善悪のけじめも持っていると思う。野良犬にも劣る卑劣な行為である。誰の仕業かわからないが、心のない人間の仕業としか思えない。ここまで人間も落ち込んだのかと思うと心を痛め怒りすら起こる。きれいな花見て喜ぶならば、咲かせた根元の恩を知れ。我々親の恩で人界生き生かされている身だ。親の恩を知り目覚めよと叫びたい。

家松人語 平成20年4月号 第152号 

先月二十八日大本山百万遍知恩寺名誉法主大野忍敬台下の表葬儀が増上寺で執り行われたので会葬した。大野法主は第七十三世の台下でおられたが病気で引退され自坊東京天獄院で静養されておられた。世寿九十二歳である。
 東京は、桜が満開で平年より四日程早いとのことである。晴天に恵まれ、台下を偲ぶ多くの会葬者であった。
  ご子息の天獄院住職は、昨年より宗会議員として同胞であり、三月八日に宗議会が終了し、自坊に帰られて一時間後に遷化されたという。静かな往生であったと のことだ。百山知恩寺で布教師の役職を勤めていた頃、よく懇意にさせて頂いており、その時の人柄が偲ばれてきた。思いやりのある台下であった。
 さて、新年度四月を迎えた。毎年のことだが三月半ばより鶯の訪れで、すばらしい鳴き声で目覚めさせてくれる。
 この声を聞くにつれて春の近づきを感じさせてくれるものだ。
 大徳寺の境内の桜もやがて咲き始めると共にこの頃は雨もよく降る。
  花の命や短しで、世の無常さも感じさせるのも、この時期である。先月は、続いて五人の方たちが亡くなっていかれた。あなた任せの身であるわれわれは、何時 お迎えがあるか知る由もない身でもある。この季節のよい時期を見定めて、総大本山で法然上人の御忌大会が執り行われる。お念仏の相続に励み精進せよと選択 して頂いた上人の報恩を思い、何時お迎えがこようともお念仏を申し続けたいものだ。

家松人語 平成20年3月号 第151号 

去月二月二十三日より新名神が開通し、信楽インターがオープンした。
 京都へ出向くことが多いので利用してみた。以前より二十分ほどの所要時間の短縮で高速路の有難みを味わった。
 その翌日に、電車に乗って京都に久し振りに出かけたことがあった。
 その電車には、通路に面して三人がけの座席があった。そこには、若い高校生男女が、先着優先の権利のようにゆったりと座り談笑していた。次の駅で荷物を両手に持った年老いたお婆さんが乗ってこられ、二人の前に立たれていた。少し離れて座っていた私は、どうするか興味深く眺めていた。
 頓着なしに嬉しそうに話している。
 仏教では「布施行」を教えている。
 金銭や品物を施すだけでない「無財施行」の布施行を思い、少し詰めて座らせてあげて欲しい。お婆さんもさぞお喜びだがと一人で考えてみた。
 お婆さんに、座席を布施してあげるといいのに……。心の中で、若い二人を咎めてしまった。こんな光景は、最近よく見受けられる。その日の帰り、あえて二人が座っていた同じ座席に、厚かましく「ゴメン」といって座ってみた。譲っていただき座ったものの、窮屈でやりかたない不快感を味わった。そこで気がついたのだ。朝のお婆さんのことだった。『荷物をもって、私が座ったとしても、楽しそうに談笑する若い二人は、窮屈で、話もできないのでは』と思った時、ゆったりと座り、談笑する若い二人に布施行をされたのでは。どちらがいいのか。彼岸を迎える。

家松人語 平成20年2月号 第150号 

釈尊の入涅槃の月である。釈尊の弟子の阿那律(アニルッダ)は、出家後に失明して盲目となった人である。晩年悟りを開いて阿羅漢(聖者)となり失明であったとはいえ天眼を得たといわれる。出家者は自分で衣をのつくろいは教団の決まりで自分で縫わねばならなかった。「誰か、親切の功徳を積んで、幸福になりたい人はおられるか。その人は、私の針に糸を通してくだされ」「それでは、私が功徳を積みましょう」といって釈尊が針と糸をとられたという。
 阿那律は、それを知り「世尊に言ったのではありません」「なぜだね。阿那律、私も幸せになりたいのだ」
 「世尊は仏陀でおられます。迷いの世界を離れられた方です。どうして世尊が、福徳、幸福を求められる必要がございましょうや」
 「阿那律よ、そうではない。仏陀だって、なおも幸せを求めるものが一杯ある。布施をするのに、これで十分という事はない。弟子の指導、耐え忍ぶにも、信者への説法も、衆生への慈悲にも限界はない。仏道にも限界はない。阿那律よ、仏陀はいつも幸福を求め続けているのだよ。つねに前進精進し続けることが、仏教者の真の姿なんだよ。」とお諭しになったといわれています。
 お釈迦様の入滅涅槃をお迎えして、そのお遺徳を偲び報恩と謝徳につとめ日々の幸せを願いたいものです。

家松人語 平成20年1月号 第149号 

昨年は、お正月早々、大本山清浄華院大田法主台下が入院されるや危篤とのことで自坊と京都を幾度となく往復した。台下も一月十九日にご遷化一周忌を迎える。密葬葬儀にも追われ、新法主を迎えるべき手配等六月末まで多忙を極めた。それらは全て昨年のこと。新しい年を迎えた。
 今年は、干支始めの「子(ね)」年である。孫も子年で六年生になる。月日が経つのは、早いものだ。
 「一休さん」の愛称の一休宗純禅師(室町中期の臨済宗の僧)は明徳五年元旦に京都で生まれられた。
 ある年の元旦にお墓から「サレコウベ」を拾って、竹竿に吊って街中を歩き「皆の衆、ご覧じろ。ここの所に二つの穴がある。昔はここに目玉があった。目玉は飛び出してしもうた。目が出た、目が出た。目出たいのう」と言いながら商家の門を叩いて挨拶。出てきた人はビックリ仰天。「ご用心、ご用心」と言ったという。そこで元旦から三日間は戸を閉ざす習慣が生まれたという。
 この逸話も一休の作り話にしても、「我々は、自分の肉体に執着し過ぎているが、仮の住まい。やがてはこの肉体も滅びてしまう。生ある内にこの一年も励みなさい」という教えではないかと一休の『骸骨』という書を読み感じたのである。一休の道歌に『門松は、冥途の旅の一里塚、馬籠もなく、泊まり家もなし』と。
 この一年のご精進願う。

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