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家松人語 平成10年

当山第廿五世眞誉昌之上人が、寺報「家松(かしょう)」に毎月掲載したものです。

家松人語 平成10年12月号 第40号 

大徳寺寺報「かしょう」を発行して今月で四十号となる。いよいよ年の瀬を迎える月である。今年は、大徳寺にとって、大方丈の落慶、第二十五世の晋山式、元祖法然上人の回番御忌とそれぞれの法要を厳粛に勤めた記念すべき年でもあった。
現世で、これらの法要に巡りあえた法縁を喜ぶべきではなかろうか。
さて今年もはや十二月、除夜を迎えることとなる。一年の最後の晩、十二月三十一日に旧年を送り新年を迎えるために各地で撞く鐘は、人間がもつ百八煩悩を除去し清浄な気持ちで新春を迎えるためであるとされる。
除夜とは、「旧年を除く」ところから名づけられ、『除夕』ともいわれる。
起源は明らかでないが、歳暮に当年の労をねぎらうため「除夜の宴」が盛んに行われた風があり、新年を迎える時を知らせるのに鐘をお寺で撞かれたのが始まりであるといわれる。
ただ、日本では煩悩の数を百八としているが、煩悩は泉のごとく沸き出ずるので、その数は限りがない。
もとは、生あるかぎり持ち続けねばならない『貪(むさぼり)』『瞋(いかり)』『痴(ぐち)』の三毒煩悩に起因する。
この煩悩との闘いが、人間を苦に追いやるのだ。法然上人は『ただ、一向に念仏すべし』とお教え頂いた。
法然上人の書『選択本願念仏集』の記念すべき年も終り、八百一年を迎えようとしている。この教えを忘れることなく『お念仏』を申し続けて、健康で新しい年を迎えたいものである。
南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ 

家松人語 平成10年11月号 第39号 

大徳寺のとっては、大きな行事の晋山式・回番御忌の大法要が厳粛かつ盛大に去る十月二十四日・二十五日の両日に執り行われた。その日を迎えるにあたって総代様や役員の方達の諸準備には大変なご苦労があったことと思う。
昭和四十六年(一九九七)秋に大徳寺第二十二世故北川賢浄上人の晋山式が行われてから二十七年目である。
昭和五十六年十一月の火災以後は、住職問題でいろいろあり、故中島諦存上人が特命住職として第二十三代、続いて山田瑞祥上人も特命住職として第二十四代に就任。正式な住職でないため晋山式は執り行われなかった。
大徳寺の開山叡誉上人が初代であるから、四百年の歴史で蓮見眞誉上人が二十五人目の住職に当たる。
その輝かしい伝統ある大徳寺の法灯を継承することは、大変な苦労もあることと思われるが、偏に檀信徒の協力が何よりも大切であろう。
浄土宗総本山知恩院中村門主の御名代牧執事長、大本山知恩寺大野台下の御名代長谷雄執事長、浄土宗成田宗務総長の御名代江口総務局長、無名会会長山脇上人の祝辞など心暖まるものがあった。
新命住職は勿論のこと大徳寺檀信徒の方達も肝に免じておかねばならない。
雅楽部も青年会の協力で見事復帰できた。お寺で檀信徒の青年が雅楽を演奏する組織は、滋賀県下では大徳寺だけであり、全国的にも珍しい。
これを機会に家松山大徳寺の益々のご興隆を祈念申し上げたい。
 家松山大徳寺弥栄!    合掌

家松人語 平成10年10月号 第38号 

ここ近年には珍しい台風七号が過日やってきた。近畿に上陸日本を縦断する大きな台風で各地に被害をもたらして去って行った。大徳寺はお陰で樹木に多少被害を受けたとはいえ、さほどでなかったことを喜んでいる。それにしても各地での水害、とりわけ我々が日頃から恩恵を頂いている農作物の被害は凄いものであった。被害を被られた方たちには心痛あまりあるのを感じる。
さてその野菜のことであるが、先日法要の席でご馳走になった。めったに法要の席ではお酒を頂くと御飯を頂くことはほとんどない。しかし、卓上に美味しそうな漬物が置かれていた。大好物ゆえに思わず箸をのばして頂いた。実に美味しい漬物であった。
「漬物」といえば、不思議にそのお家の知らず知らずに出来上がった「おふくろ」の味が継承されていると幾度か聞いたことがある。その漬物を口にして、私はほのかな喜びを感じたのである。
味わえば味わうほど心からジーンとくるものがあった。よく聞くとその家の娘さんが漬けられたものであるという。
六十歳、これからという人生なかばで病気のためお母さんを亡くされたお家である。悲しみも消え去らないとき、ちゃんとお母さんの味、そのお家の味を引き継いでおられるのだと思ったとき、ジーンと胸にこみあげてくるものがあった。
お母さんもあの世から無言の声となって喜ばれていることだろう。今はなんでもインスタントでことを済まそうとする。
しかも、なおも「おふくろの味」が残り継承されているのに喜びを感じた。

家松人語 平成10年9月号 第37号 

思いをつのらせてようやく、大徳寺に韋駄天(いだてん)菩薩がお還りになった。
大徳寺以前の浄慶寺時代から庫裡(くり)にお祭りをしていた菩薩さまである。
昭和五十六年十月の十夜法要に随喜したとき、何故か本堂の御手前机に不動尊とともに置かれていた。当時の住職に、この二菩薩は陰の仏さまだから元の場所に戻すべきだと忠告したことがあった。
その一ヶ月後に火災で二菩薩とも灰塵に化してしまった。それ以後思いが募るばかりで、今回守山の仏師高井正氏に依頼しお盆にお還り頂くことができた。
総楠の彫刻仏像である。身丈八寸ではあるが台座をふくめると尺三寸で見事な出来栄えである。
韋駄天さんは、本来スカンダといい、バラモン教の神で、シヴァ神の子である。
「悪魔を打ち破る軍神」であったのが仏法の守護神となった。韋駄天走りでご存じのとおり、修行僧が悪魔に悩まされたり、食べ物がなくなったりすると走り来たってこれを救う足の速い仏様である。
普通はお寺の庫裡の厨房でお祭りされている。小僧時代に掃除をやった時の歴史を伝える古さは無いが、大徳寺にお還り頂くことができたことは喜ばしい。
また、機会を見て不動尊もお還り頂くように尽力をつくしたい。
神棚を整備して、客殿でお祀りしたいと考えている。大きな財産を一瞬にして無くした大徳寺。未熟ながら焦らず一つ一つ整えていきたいことを願っている。
大徳寺もやらねばならないことが山積みしているお寺である。 

家松人語 平成10年8月号 第36号 

「われはただ ほとけにいつか
    あふいくさ 心のつまに
      かけぬ日ぞなき」
 関西を中心として、今月はお盆月である。
 この一句は、法然上人がお詠みになった「夏のご詠歌」である。
 このお歌は夏の草である「葵」と仏様に「会う」ことを掛詞にして詠まれているのである。
 阿弥陀様を信じ、お念仏を称えれば、救いのみ光に包まれ、いつか寿命尽きる時には、阿弥陀様自らお迎えに来て下さり、極楽浄土にお連れ下さるのである。
 いつか親しく阿弥陀様にお会いでき、そのお話を聞けるのだと信じたとき、私たちの心の中に阿弥陀様が何時でもいらして下さるように感じることができます。このような心を「安心」(あんじん)というのである。
 京都の三大祭りの一つ「葵祭り」では、家々の軒先(つま)に葵草を飾ります。
 私たちも何時でも何処でも、阿弥陀様のことを心の端(つま)に思い続け、阿弥陀様が悲しませるようなことは行わず、喜んで下さる生活がしたいものである。
 阿弥陀様に、必ずやいつかお会いできることを信じ、「南無阿弥陀仏」をひたすら唱え、先師の教えを尊び、朝夕勤めた父母の習いを受け継ぎ、今は亡きお爺さん、お婆さん、父母のご恩を心にとどめてご先祖のご回向に勤めて参りましょう。
 これが、仏教徒としてお盆を迎えることであろう。

家松人語 平成10年7月号 第35号 

大徳寺の心ある有志の方たちで、「花一杯ボランティア」ができたのが昨年であった。境内前庭に綺麗な花が一杯。参詣者の方から心が慰むと評判であった。
 ところが最近こんなことを耳にした。
 「なんや、こんな安物の花を植えて」とは参加されていない人。「枯れかかっているのは知っているけど、勝手にすると○○さんから何言われるかわからんからほっとくの」とはボランティア一員の話。共に五重をお済みの檀徒の方である。ボランティアって一体何だろうか。
 「人からとやかく言われることもなく、進んで気が付けばそのことに打ち込み、奉仕することだ。」と辞書にある。
 「気はついているが、しては悪いと思って」の言葉を残念なことに、大徳寺の檀信徒でたびたび耳にする。
 五十年前の幼き頃の福井大震災の時いざ知らず、阪神大震災、日本海オイル事故除去のボランティア活動は少なくとも見聞きしているはずである。
 文部省も今までの教育を見直し、青少年に奉仕する経験をとおして「心の教育」を強調している。まずは、われわれ大人から率先して範を示すべきではないのか。
 過日、朝早く病気上がりの一人のお婆さんが、一輪車を押して一生懸命花を植え、除草作業の奉仕をして頂いていた。
 頭の下がる思いであった。誰かがこのことを聞いて、その人の卑猥言を言われないかとふと心配した。
 愚悪な我々ではあるが、いつも明るい楽しい話題が大徳寺から生まれ、日々心慰む毎日を送り、次月のお盆を迎え、ご先祖さまにご恩を報いたいものである。 

家松人語 平成10年6月号 第34号 

最近、新聞紙上で「しがらきニュータウン」での井戸水水銀問題が話題に上がっている。信楽町中野地区の団地である。
 中野地区といえば、大きな工場も無く、山また山の静かな山村地区である。
 なぜそんな所の井戸水に水銀が入り込んだのかと疑問に思った。もともとは信楽は花崗岩層から成り立っている。
 地下水に含まれるのは、無機水銀ということなので、その岩層に含まれる鉱物の一部が溶け出したものか。
 この水口も飲料水として井戸水は使われなくなって何年位たつだろう。
 大徳寺にも井戸は六つある。座敷北と稲荷の井戸は蓋をして使用不可。大徳寺の最も重要な庫裡の井戸は、知らずして埋められている。駐車場の井戸は、最近使っていないが誰かが農地用としているらしい。お墓用に現在も盛んに使用しているのが、境内の東西の二つの井戸水である。
 「大徳寺の昔からの井戸水です。ご先祖様召し上がって下さい。」と何もきにすることなしにお供えしている水である。霊地のお墓におられるご先祖の仏は、どんな気持ちでその水を味わっておられるのか。誰一人知る由もない。
 衆生の人間は何かあると騒ぎ出す。
 仏は、何も言われずに人間のお供えするものを無言で頂かれる。大徳寺の井戸水も一度検査する必要もあろう。
 と共に、お墓にお供えする物の後始末も環境浄化として、大切な心がけの一つではなかろうか。ビニール類は寺での焼却は出来ない。ゴミ箱での散乱も食い止めたいものである。皆で『環境浄化』を考える時がきたようだ。 

家松人語 平成10年5月号 第33号 

浄土宗の所依(しょえ)の経典(すがり拠り所とするお経)は『三部経』で、「無量寿経」と「観無量寿経」と「阿弥陀経」の三部のお経である。
 私たちは、この地上に住む限り、四苦八苦に代表されるさまざまな苦悩を耐え忍ばなければなりません。ですからこの世を仏教語で娑婆(しゃば)というのである。
 『阿弥陀経』の中に、私たちのこの娑婆世界は「五濁悪世(ごじょくあくせ)」であると記されている。『五濁』とは、文字通り五つのにごりをいうのだが、「劫濁(こうじょく)」とは、時代の汚れ時世の濁り、時代悪というもので、法律も規律もあってなきがごとく、無法、末法の世界をさしている。
 「見濁(けんじょく)」とは、思想の濁り、思想悪といわれるもので、まともな考え方が避けられ、邪宗邪教が世にはびこり、正直者が馬鹿をみるような邪見の世界をいうのである。次に「煩悩濁(ぼんのうじょく)」とは人間の性質、人間悪をいう。人間が生まれながらに具えている「貪り・怒り・愚かさ」のゆえんに悩む偏見の世界である。
 「衆生濁(しゅじょうじょく)」とは前述の三つの濁りによって、人は身と心の双方にわたって資質を低下させる、人間の資質低下をいう。
 最後に「命濁(みょうじょく)」は以上の世界を行きつ戻りつしているといつの間にか私たちの命はすり減らされ、天寿を待つまでもなく短命の世界に陥るという。
 いかがでしょう。『五濁』はいま現にこの世に事実となって現れている気がする。五濁の世にある自分自身に気付き、その汚染から心身を守り清らかにするのはお念仏を行じることだ。南無阿弥陀仏。

家松人語 平成10年4月号 第32号 

法然上人がお亡くなりになったのが一二一二年で、今年は七八七回忌を迎える。
 浄土宗総本山知恩院をはじめ各本山では、法然上人の報恩の御忌法要が執り行われるのが、この四月である。
 法然上人は、一月二十五日に八十歳で亡くなっておられるが、陽気のよい春に年回法要を行い御忌といっている。
 高齢化時代の今、八十歳はさほど思わないが七八六年前であれば、かなり高齢であったに違いない。人生僅か五十年の時代だ。九歳にして出家され、仏道一筋学問に打ち込まれた方であった。
 桜の開花が遅い年は、本山の境内の桜も満開で、何ともいえない風情を感じる。
 今年、当山で甲賀組水口町内浄土宗十三ヶ寺が順番で執り行っている御忌を回番御忌(かいばんぎょき)といって今年大徳寺で勤める。
 十二年に一度のことである。今後の十二年先には、この世も大きく変わっていることだろう。自分自身この世にいてるかどうかと考えると一抹の寂しさを感じる。
 さて、桜の花も今やわが人生だと蕾を大きく膨らませている。パァッと咲き、パァッと散ってしまう。これも無常のあかしであろう。
 人間は、仕事と遊びに相談すると寺には来られぬ。しかし、人生の無常さと煩悩に相談すれば寺に足が向き来られるのではなかろうか。
 御忌を迎える期に、法然上人の遺徳をしのび、秋の当山の大法要に向けて、その準備など檀信徒皆様のご協力を切にお願い致したいものである。 

家松人語 平成10年3月号 第31号 

三月といえば、毎年私に蘇ってくる思いがある。
 若く二十歳で、この世を去った故前川裕則君のお葬式のことだ。彼は、優秀で広島大学教育学部数学科に入学して、山岳部に所属していた。昭和五十一年三月、大学のクラブ同僚とともに合宿のため、春山登山に参加していたのであった。テントでの宿泊を終え、早朝、次の目的地に向かうために移動を始めた矢先、無残にも雪崩に襲われてしまったのであった。
 その雪崩のため、若き命を瞬時に失ってその犠牲となってしまったのである。
 彼のお葬式に、大きなザックが祭壇の前に置かれていた記憶が、未だに忘れず思い出される。
 早いもので、今年は彼の二十三回忌を迎える。
 先日、お父さんから、大学で出版された当時の遭難遺稿集をお貸し頂いた。
 幸いに奇跡的に助かった二人の友、親、知人らの言葉、大学の遭難分析などが記されていた。
 今はその過去の思いも忘れ去られようとしているが、当時は、計り知れないものがあったことと思う。「生あるものは、必ず滅す」とはいえ、人間にとって『死』とは悲しみ深いものである。
 お父さんは「これからの人生を、お前は、一条の光となって、足もとを照らしてくれるものと、信じる。」と裕則君に送ってられる。
 あの世から、大み親と共に、慈光明となって、見守って頂いているものと信じる。
 み仏の教えを『深心(じんしん)』(疑う心なく信じさせて頂く心)と受けとめて、到彼岸まで、精進し続けたいものである。

家松人語 平成10年2月号 第30号 

 新しい年を迎えて『心機一転』『おめでたい』と互いの幸せを願う月もあっという間に過ぎてしまった。
 「おめでとうございます」と言葉を交わしあうのは、いつ頃まででいいのかという話が過日の新聞にのっていた。
 東京では正月気分は、三ヶ日で終わるという。昔は、三日正月、五日・七日・十日・十五日・二十日正月とその都度の朝、何らかのお祝いをしてきた思い出がある。現在では、そんな悠長なこともできず、心を亡くして多忙な生活に追われているのかも知れない。
 ところが今年は、一月二十八日が旧正月元旦であった。日本では『お正月』といって互いにお祝いを交わしあっていたのは旧正月までのようである。
 なぜか知らないが、だんだん日本の古来からの良さが無くなっていくような気がして、一抹の寂しさを感じる。
 さて、今年は宗祖法然上人が御年四十三歳で浄土宗を開宗され『阿弥陀如来の本願は、口称のお念仏で、一切の衆生は平等に救われていく』とお示し頂いた。
 後の世のために、弟子の切望で御年六十六歳にして『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』をお著しお残しになって八百年に相当する年である。一口に八百年といっても、実に長い年月を経過しての今日である時、法然上人の御苦労なされたその結果が、現在の浄土宗の姿となっているのである。
 実に今年は、「おめでたい」一年であろう。心新たに、『お念仏』の相続に努めたいものである。 

家松人語 平成10年1月号 第29号 

ある田舎で、昨年一夜を迎えたことがあった。朝方、ニワトリの鳴き声を耳にし、懐かしみを覚えたものだ。
 この大徳寺周辺でも、ごく最近まで鶏の声を耳にしたことがあったが最近ではいっこうに聞かれなくなってしまった。
 平成十年度の清々しい新春を今年も迎えることができた。
 幼き頃は、鶏の鳴き声とともに飛び起き、その家の長男が、初水を汲み、その水で母が作った「お雑煮」を食べ、お正月の朝を祝ったものだ。
 懐かしく感じる方もあろう。
 鶏の声すら聞くことも出来ず、初水汲みもなく朝寝して、お正月を迎える家庭が最近ではずいぶん多いと聞く。
 十年前のお正月の迎え方とはおおきく変わってきた感がする。
 「十年一昔」とはこのことか。
 お正月を迎えて、この世の全てのものが一齢を加えたことになる。
 「お陰で、こんな歳まで長生き出来た」と喜ぶお年寄り達。「歳はとりたくない。正月などあっちにいって」と嘆く中年層。「大きくなりたい。何回も正月きて」と待ちのぞむ子供達。千差万別いろいろなのがまた楽しい。
 『年齢は自分できめる』と誰かの言葉であるが、互いに一齢を加えて、この一年どのように歩み続けるかは、その人その人が決めていかなければならないことだ。
 まず健康には留意して欲しい。
 唯、我々は生かされている身であることだけは忘れずに、精進してほしい。

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