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大徳寺の歴史

もと禅宗寺院で、「林慶寺」と称していたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の命により、中村式部少輔(中村一氏)が古城山に岡山城を築き、天正16年(1588)に、城西二町四方の土地を施し菩提寺を建立し、浄土宗『浄慶寺』としたのが始まりである。小田原の大連寺の僧叡誉上人を招き開山上人とした。
開基大檀那中村候の後、二代渡辺右衛門、三代長束正家の城主も菩提寺とした。
慶長5年(1600)徳川家康公が関ヶ原陣の上洛の際、叡誉上人(家康幼少の時、手習いを教えた人)の出迎えで当寺に立ち寄り、松平家・家康公の二字より『家松山』の山号を賜る。と同時に釣鐘も拝受している。また、寺紋に、徳川の定紋(葵紋)に、丸小右離れの『立葵』の使用の使用も許された。
慶長7年(1602)には「花咲松」「千年松」の2本の松と「大将軍徳川」を引用し、浄慶寺を改め『大徳寺』の寺号も下賜されている。
慶安2年(1649)将軍家光公より、29石3斗9升6合の石高の御朱印を拝領したのが始めで、明治初年に至るまで歴代将軍より下付されてきた。
就中、水口城主加藤氏は、帰信一層篤く、寄付物品等の外護により、隆盛をみるに至るが、宝暦8年3月祝融の災いによりことごとく灰燼となる。
復興を重ねて、以来、4百有余年、念仏道場の法水ここに至る。

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